湯殿山麓呪い村

みなさんお久しぶりです。また面白い映画を見つけたので鑑賞記録を書いておきます。
今回見た映画はこちら。

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「湯殿山麓呪い村」
Amazonビデオ


 ミステリー・サスペンス映画です。今ではミステリー・ドラマなんてお昼の2時間ドラマとしてダダ流しされるぐらいですが、この年代は、出版社のバックで小説原作のミステリー・サスペンス映画が多く制作されたいてようですね。金田一耕助シリーズは有名ですが、私は天河伝説殺人事件(映画)が好きです。
 まず本評に入る前に本作を視聴する経緯を一言説明させていただきたい。ずばり本作の公開年が84年だからです。前回記事で書きましたが、84年は映画の当たり年でありまして、かつ経済状況が隆盛を極めし頃なれば映画も大変にお金の掛かった、スケールの大きいものや作りの精細なものが多く作られていた時期であります。即ち、太平洋の東西で物質主義文化の最高峰が出現し、映画界の一つのピークともいえる時期に作られた映像のパワーを感じたかったのと、Amazonビデオでタダ見できたからです(ロストエイジ世代並の発想)。


追記から本評(部分的にネタバレ)

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デューン/砂漠の惑星


複素数ですこんにちはお久しぶりです。映画を見たので感想文を書きます。

見た映画は「デューン/砂の惑星」というアメリカのSF映画です。


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(面白そうでしょ?)
「デューン/砂漠の惑星」Amazonビデオ


 これググればすぐ出てくるっていうかWikipediaにすら公然と書かれているんですが、この映画評判が良くないそうです。実際通しで見た身としても実感として思う部分がありました。安いという理由で買って見ようと思った人はその辺を留意した上で決済してください。もちろん良い部分が無いという意味ではありませんが……
 結構長い映画で、後半は集中力が切れてしまったので感想のための要項をまとめたりしていましたので、それにそって記述します。


1.SF娯楽映画としてはハード過ぎる設定
 原作が戦後SFブームの落ち着いた頃に出た本格SF長編小説なのでこれは仕方ない部分もありますが、設定が結構重いです。遠い未来遥か彼方の銀河が舞台であり、その地域を統括する銀河帝国と皇帝、その皇帝をアゴで使うギルド同盟、スパイスと称する鉱物だか何だか分からない薬物を摂取することで遠く離れた星にトリップ(物理)する謎の空間航法、神通力に超能力など、ただの宇宙時代の未来ではない世界観です(この辺もスターウォーズ的なもの、としておくとしっくり来るんですが、原作はスターウォーズ公開より十数年古いです一応)。いけないのは、これらの設定を冒頭に説明(本当に説明ナレーションが入る)するんですがその仕方が投げやりなので正直「?」ってなります。僕なりました。救いは設定が全く頭に入らなくても物語の理解の妨げにならないことです。


2.描写が小説っぽい
 真似事ながらも創作を試みる一人の素人としては映画には映画の、小説には小説の記述形式があって、それぞれに適した話筋の進め方があると信じています。よく言われる「映像化不可能と言われた」なんてアオリは特撮やVFX技術ではどうしても表現できなかったシーンをCGを使って完全再現したんで褒めてよ!って意味として解釈されていますが、実際は映像化不可能のうち半分は小説と映画の「メディアとしての階層の違い」が極端すぎて忠実に映像に起こすことが難しい/出来ないという意味だと考えます。例えば小説で「人間の想像力が完全に及ばない異形の現象が目の前に出現した」と書けば読者は「そうなんだ~、何かすごいもやもやしたものなんだね」と、想像はできなくとも意味として理解できますが、これを言葉を用いないで情景説明する映像作品にする場合、製作者はおおいに悩むところです。人間の想像力が完全に及ばない異形という字義どおりにとれば人間である制作スタッフには絶対に映像化できない訳ですが、何も映さない訳にはいかない。そこで仕方なく、逃げかあるいは創意工夫として昔の抽象画や一般に知られていない自然現象のビジュアルなどから意匠を拝借して、とりあえず画面に映るものに仕上げるのです。あるいは別の例で言えば、主人公ほか登場人物が一言も発しないし、内面でもほとんど言葉を出さないが外的な現象や思考に呼応して感情が右往左往して、それだけで重要な見せ場になるシーンがあるとします。これも小説からカメラに映る情報だけ拾ったんでは、一言も発しない登場人物が動かないでいるだけになってしまいます。それでは視聴者に何も伝わらないので、カメラワークや照明や音楽を駆使して、カメラに映らない人物内面を描く努力をはらうわけです。ところが映像表現の力及ばず、カメラワークも照明も音楽を使っても何にも伝わらない時があります。そういう時は映画スタッフは仕方なく、話の筋に手を加えるのです。近頃は小説や漫画を映画にするのが流行っていますが、ファンが見るのはいかに原作と同じかだけで、こういったメディアの橋渡しの努力は改悪とされてしまいがちですが、こういった処置こそがメディアの次元を超えるための工夫であり方策だと私は考えます。。もちろん次元を超えるにあたってノイズが乗ったり変換に粗さが無いわけではないのですが、メディアの次元を超越するのがいかに難しく、次元を超える時に物語が失うもの/新しく獲得しなければならないものがいかに大きいか何となく伝わったかと思います。
 その上で本作ですが、劇中ちょっと違和感をおぼえるぐらい小説そのままっぽい部分があります。本作映画化の難産っぷりを考えれば制作陣が何かを怠ったとは思えませんが、84年の映画とは思えないほど映像のテンポが古臭い、あるいは実験的です。古臭いというのは何かちょっと映像の色合いが古ぼけているせいかもしれませんが、主人公の心の声を頻繁に引用させたり、下の項目で挙げる淡々とした語りは映像としての緩慢さを感じさせます。


3.ドラマはあってないようなもの
 本作は壮大な宇宙叙事詩のような語り口で進行します。劇中内の経過時間は1年ぐらいだし個々の人物目線で物語が進むんですが、これといって誰かに注視するでもなく、淡々と出来事が進むのでそう見えるのです。誰かに感情移入させるという意図も感じられません。この辺は制作を仕切っていたイタリア人プロデューサーの「ヨーロッパ的映画感覚」が出てしまったのかなぁと思ったりしています。良くも悪くも(良くはないか…)聖書や中世の英雄譚のような遠い世界からの視点で語ってしまい、主人公に威厳や壮大さを与える代償に娯楽性をゴッソリ持って行かれているという意味です。念押ししますが本作はアメリカ映画です。


4.舞台美術・特撮が最高に良い
 散々悪いところを書いたのでいい話もしましょう。この作品は物語や構成に目をつむって、映像として見ると最高の映画です。最初から最期までほぼ全部セット撮影ですが、どのセット背景も引くぐらい作りが丁寧かつ豪華で、安っぽさも偽物っぽさも感じられません。デザインも丁寧であり、星ごとに明確に建築物や調度品の意匠が使い分けられ、小物に至るまでいちいち作ってるのは感動に値します。若干年代が違いますが背景美術や代償の道具制作でいえばスターウォーズ(456)より優れています。特に良いのが途中で出て来る汗を吸ってくれる全身タイツ。古い救命胴衣みたいに空気の入った帯状のバルーンが表面に張り巡らされ、照りのない黒一色に塗られたそれはバットマンのスーツを連想しますが、筋肉のラインをそのまま強調するバットマンタイツと違って筋肉の凹凸を模式化し機械的で機能的なそのデザインはアメコミヒーローのダサタイツとは比較になりません。2010年代の映画にそのまま出てきそうなデザインで、かっこよすぎて若干浮いてる感があるほどです。デューンの原住民はほぼ全員これ着ていますから、少なくとも50着ぐらいは作ったんだと思いますが、これ来た男たちが一堂に会するシーンはすごい威圧感があるのでそのためだけに見てもいいかもしれないです。
 さらに劇中で頻繁に挟まれるジオラマを使った特撮も、なんじゃこれはというぐらい程度が高い。ミニチュア撮影といえば日本、みたいに言われますが本作のミニチュア撮影(とくに人物合成)は邦画のそれより気合入ってますし、円谷プロ作品より良いかもしれないぐらい良いです。ですからストーリー追わずにガジェットSFとして見ると本作はすげー良い映画です。すごい失礼な事言いましたが、実際見れば感動することでしょう。
 

5.以外なキャスト
 敵味方でそれぞれパトリック・スチュワート(新スタートレックのピカード役など)とブラッド・ドゥーリフ(エイリアン4の医師役など)が出てきます。パトリック・スチュワートはこの時まだ44歳ですが、既に後年と同じく頭頂部が禿げてあの顔が出来上がっています。驚きました。

以上がこの映画の直接の感想で、特に上の3つが世間での映画の低評価の理由の推測です。蛇足ですがもう一つ、気になったので追記させてもらいます

6.公開年
 この映画が公開された1984年は映画の当たり年でもありました。日本ではアニメは「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」「風の谷のナウシカ」「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」などの今でも名前の上がる名作が出ましたし、平成シリーズに連なるゴジラの新シリーズ第一作(いわゆる84年版)もこの年です。まぁ邦画は実際関係ないですが、洋画もすごいメンツが出揃っており「ダーティハリー4」「ライトスタッフ」「インディー・ジョーンズ/魔宮の伝説」「グレムリン」「ゴーストバスターズ」など粒ぞろいです。さらに決定的なのが「スタートレックⅢ ミスター・スポックを探せ」でしょう。同じSFというだけでなく、この劇場版スタートレック第三作目は6作品あるシリーズの中で1,2を争うほど評価が高い作品であり、前作「カーンの逆襲」の直接の続編であることもあって大ヒットだったのです。映像の出来だけで見ればデューンもスタートレックⅢに負けないかもしれませんが、話の面白さや構成の巧みさは月とスッポンです。こんな映画に囲まれていたのでは劇場を埋め尽くすなんて夢も夢です。悪い映画ではないのに、この辺の運の悪さも評価と認知度の低さにつながっているのかもしれません。


以上、勧めてるのか貶してるのかわからない感想文でしたが記録としてここに残します。

ご報告

昨日サクッと筋トレしたら見事、筋肉痛になりました\(^o^)/

いやーーでもある意味筋肉痛になりたくて筋トレやってるみたいなところもある訳で、目論見通り?みたいなー
筋トレサイコーです。

なぜアニメを見ることを躊躇するのか =終焉するという物語の本質と最終的な喪失=

なぜアニメを見ることを躊躇するのか =終焉するという物語の本質と最終的な喪失=



みなさん、アニメ見てますか?

 お久しぶりです。複素数です。実は私はアニメをあまり見ません。
これは何故か。自分でも正直よく分からなかったのですが、2017年に入って久しぶりにアニメを立て続けに完走してみて何となく状況が見えたので、整理もかねて文章を綴っていこうとおもいます。そういう事情ですので以下の文章は全く自省に関するもので、誰かに何かを訴えかける意図があるものではありません。似たような感覚を抱いているが理由は分からず、わだかまりを感じている人は軽く読んでみてもいいかもしれませんが、あくまで自分用です(このブログはもうずっとこういう使い方です)。


  <なぜ見ないのか>
 見ないというのは若干語弊があり、より正確に表現すると見れないのです。アニメは好きなので(学生時代までは夜更かしして超見てました)色々見たいなーという作品を見つけてくるんですが、見ようとすると心理的抵抗が生じ、視聴しなくなります。私はAmazonプライム会員なのでAmazonプライムビデオでいろんなアニメを好き放題見れるのですが、面白そうな作品を見つけてもあとで見るリストに投げ入れてそれっきり、1話を見ようと思っても最初の数分で「あーあーあー」と、いたたまれなくなりビュアーを閉じてしまったり。この際、面白いかどうかは関係ありません。「あーもう、これ絶対好き。絶対ハマる。あとで見よ(もう見ない)」みたいな事のほうが多いです(視聴前に雰囲気や概説で好みかどうか嗅ぎ分けているから好みじゃないアニメにぶち当たらない)。

 ところがこれには例外がありまして、既に見たことあるアニメにはこの抵抗感がないのであります。現に作業用動画(BGVというらしい)として手元にある攻殻機動隊や天保異聞妖奇士などな何十回と再生して見ています。イノセンスに至ってはこの5,6年で40回以上見ていますから、アニメそのものを見れないわけではありません。上でAmazonビデオの話が出ましたが、以前ガンダムシリーズが一斉に無料開放された時はZや∀などの4クール相当作品(どちらも以前に見た)はバンバン見ていました。バンダイだけにw

 ここまでの文章で判断するなら、「お前は新しい作品に手を出すのが億劫なだけだろう」という事になるでしょう。実際それは間違いではないのでしょうが、類似の事例を見ることでもう少し深く踏み込んでみましょう。


  <メディア特性の違い>
 映画を例にとりましょう。私は映画が好きで、上記のAmazonプライムビデオサービスに加入する前から週1,2本のペースで見ていました。加入してからは多い週で5本ぐらい見ていることもあります。えっ?映画は見れるの!?と疑問に思うでしょう。はじめて見る映画も普通に見れます(ただし同じ映画を聞き流しで何度も見ることもします。最近は2015年版日本のいちばん長い日を繰り返し見てます)。
ここでアニメと映画の違いを明確にしておきましょう。ここで言う映画はアニメ映画も含みますが、要するところ1話30分の回を数話~50の枠内で繰り返すのがアニメ(連続ドラマ)で、60~90分程度で完結する映像作品が映画です。
映画は90分なら90分で起承転結が全てついて完結するのに対して、例えば1クール13話アニメなら6時間半(本編はその半分程度)というふうに、そもそも映像の時間が全然違うわけですが、さらに踏み込んで考えてください。映画は一回で全部見ますが、アニメはどうでしょう?基本的に週一回で見るものです。私の場合完結済みのシリーズをネット配信で見る事が多いのでそれは必ずしも当てはまりませんが、リアルタイムで見る場合はこの制約を逃れることはできないのです。ではこの差が何の意味を持つのでしょうか。


  <時間尺度の差と精神への影響度合い>
 物語の基本は起承転結であります。何か起こって、それが終わるまでを描くのが物語です。この世の生まれし時から果てる時まで続くかのような長寿シリーズであっても、この大原則から逃れる事はできず、いつかは終焉を迎える運命にあります。この「初めから終わりまでの時間」が、例えば60分とかであった場合、人間という生き物の時間尺度からすれば、ほぼほぼ息つく暇程度のものであり、まばたきをしている間に終わったといえるようなものなのです。つまり何がいいたいかというと、常識的な映画の長さでは起承転結の過程に没入することはあっても、映像が絶えず流れる作中に視聴者自身の思考や感情を差し挟む余裕はなく、終始製作者の意図した感情を”受け続けながら”物語の終焉に至るのです。ところが、間に1週間のインターバルが挟まるアニメはどうでしょう。視聴者は物語をぶつ切りに(それも客引きを意図した気になりどころの境目で)され取り残されます。物語側から見れば30分の放送の後に6日と23.5時間のインターバルがあることになり、観客はその間否が応で物語について考えさせられます。この「考える」こそ物語への没入だと考えます。映画の演出家が言う没入など、所詮セリフを聞き主役を目で追いシーンごとに流れる音楽に応じて感動したり興奮したりしろってなもんですが、この6日と23.5時間のインターバルは違います。観客は観客の時間尺度(現実)で物語を考え、物語の延長の中にいながら現実で肉体を以て思考し行動するのです。ちょっとややこしいですね?

 男女関係で考えましょう。作品の放送上映時間をお互いに会える時間、お互いの感情を作品への没入と考えてください。アニメ(連続ドラマ)は1週間に1回、30分だけ会えるカップルです。彼らが会える時間は本当に僅かですが、来週も会えることは少なくとも確実なようです。彼らは会えない日もお互いのことを考えるでしょう。次会ったらどこで何をしよう、何を話そう、何て言ってあげよう…。残りの時間全てという訳ではないかもしれませんが、きっと二人は6日と23.5時間のうち何割かは相手の事を考えて過ごすはずです。実際に顔を突き合わせている時間は短くとも、彼らの間にあるものは、これは美しい愛でしょう。かたや映画ですが、これは対照的に愛と呼べるかどうかは怪しいものでしょう。なぜなら上記にあるように映画と観客はその一夜がどんなに情熱的で激しいものであっても、一過性かつその場限りの関係だからです。私は同じ映画を何度も見ると言いましたが、映画が見るたびに見せるのは毎回同じ顔、どんなに愛して通いつめても最初に出会った時以上に微笑んでくれることはありえませんし、むしろ最初に出会ったときの輝きは徐々に色あせていくのが普通です。そういう意味ではこの例えで言えば一夜限りのピンクな商売の関係というのが適切でしょうか。

 変な例えを持ち出したせいでよけいこじれた感じもありますが、感覚的には概ね伝わったかと思います。要するにアニメ・連続ドラマと映画ではハマり方が異なり、没入度も変わってくるのです。いえ、没入度という言葉にはやや語弊があるので、ここは浸透度という表現を使いましょう。人間の心理は関数です。関数とは即ち入力に対して内部処理があり、出力をもつものです。人間という関数は入力に対する出力に遅延が存在します。一つの作品を見て感動を得ても、それが骨身に馴染んでくるのは実に数日後からなのです。これが「どんなに感動した映画でも1週間もすれば忘れている」であり「つまんねーアニメでも2クールずっと追ってたら何かエンディングで感動したし後々まで記憶に残る」である所以なのです。これは映画の価値を貶める意味ではありません。人生を賭して追いかける夢と、一晩に見る夢は文字は同じでも意味は異なりますし、それぞれがそれぞれの代わりにならないという点ではやはり双方が唯一無二の価値なのです。その上で申しますと、人間は60年ぐらい生きるので、人生という尺度により近いメディアはアニメだと、そうなるのです。月曜日に見初めて水曜日に冷める恋もあるぐらいですから、心を掴まれている限り放映クール中ずっと夢中でいさせてくれるアニメはまさに理想的な恋人なのです(?)。アニメが恋人、みたいな名言系コピペが昔ありましたが、これは茶化して言っているのではありません。


<幸福の終わった後には幸福と同じ重さの喪失感が残る>
 さて、上行では映画とアニメの心への浸透度合いの違いについて明らかにしましたが、ここでエンディング後の世界について考えてみましょう。最初に述べましたとおり物語は終わります。終わった後は物語の世界の時間は止まり、あるいは消えることで始まるより以前の世界に回帰します。観測者=視聴者について考えるとして、物語を見ていないという意味においてはアニメのインターバルと物理状態は同じですが、その性質は全く異なります。即ち、何週間待っても次回は来ないのです(続編はあるかもしれないがここでは考えない)。前項の恋人の例えに則ってみれば、これは破局であります。この終焉の到来は物語の定義に基づく普遍的特性で、映画でもアニメでも同じですが、前項にあるようにアニメのほうが浸透度が高いのであります。1年か半期か四半期か、とにかくそれだけ長く愛聴していたのだからこれは言ってみれば人生の一部のようなもの、それが急に消えてしまったら、その穴は急には埋まらないのであります。ドラッグや抗うつ剤などの快感作用を伴う薬には、薬の効果が消える過程で虚脱症状が出るものがあります。あるいは定年退職や子供の独立で燃え尽きた中年世帯と例えるのもいいでしょうが、項題のとおり人間は幸福の過ぎ去った後に残る虚無に、虚無は本来何の印象も与えないものであるにも関わらず不幸を感じるのです。その不幸の大きさは、浸透度に比例し、即ちアニメのほうが多い形になります。


 <終演後の世界のポスト物語を見つめる>
 私が忌避していたものの正体はこの喪失感だったのです。これを読んで笑う人も居るでしょう。しかし考え方次第です。より一般化した表現を使えば「失うことが怖くて手にすることをためらう」というカッコイイ響きですし、これを身近な例で見れば死別が怖くてペットが飼えない人などで、これは笑い事ではないというのが理解していただけるかと思います。アニメ見る度に毎回ペットロス症候群になるとしたらどうです?私は繊細なので結構なります。例えばARIAのアニメはリアルタイム視聴じゃなかったのに最終話見終わった時点で虚脱感に襲われ数日何もできなかったし、ToHeart2の某会長ルートクリアした後は熱が出て一週間ぐらい誰とも話したくなかったし、誰にでもそういう思い出あるよね?

 私の場合アニメ見て創作意欲が充填されるタイプなので見なければいいじゃんで終わらすとかなり厳しい感じで、むしろ現状がその厳しい感じになっているので現状打開の願も込めてその打開策を提言して論説を閉じたいと思います。ここ数年創作意欲は底値も底値でほぼ0でございまして、実際原稿年産2,3pぐらいのペースです。でもね、今年に入ってもう2本アニメ見てるんですよ。3月からですね。まずけものフレンズ見ました。流行ってたからね。いやぁ面白かった。続編も見ますねきっと。あとAmazonビデオで1期と2期が無料公開されてたこのすばも見ました。あれ面白いっすねいやマジで。ファンタジーは良いですよねぇ俺も描きたい。同じ異世界ものでもあの何度も死ぬやつ名前思い出せないけどあれ途中まで見て何かいいやってんで投げ出して以降またアニメと疎遠になってましたが、やっぱり面白いアニメは面白いですね(哲学)。で今順調に創作圧が高まってきてるんでこのボルテージを保ったまま次々面白いアニメを見ていければきっと自分の創作活動もやっていけるんじゃないかと、テキトウですがそんな感じで閉じです!

あけましておめでとうございます/VR体験行ってきました/VRを題材にした漫画

あけましておめでとうございます。こちらは今2017年です。


去年末、新都社の不良社員たちと人権補充をした折、VR体験会に参加しました。
参加したのはドスパラ秋葉原本店にあるVIVEのブースで、HTCのゴーグル一式を体験できました。

ドスパラ秋葉原店
キャプチャdos


まず、私自身勘違いしていたんですがVRというのはゴーグルのみを指すものではありません。
(PS4のオプション部品であるPSVRを除く)VRは、基本的に以下の部品で構成されます。

・VRゴーグル
      -3D映像を見せるもの。左右の目の先に小さなディスプレイが1つずついている。
・コントローラー
      -ゲーム内で手やカーソルの役割をするもの。Wiiのコントローラーを両手で持つようなイメージ。
・パソコン
      -映像処理をする。現状のVR環境はいずれも高度なグラフィック処理能力が必要とされる。
・モーションキャプチャーカメラ
      -VRゴーグル及びコントローラーの動きを検出する。必須。


図:VR環境の構成(出典:NECソリューションイノベータ)
vr_ph02.png

 一応補足しておくとモーションキャプチャーカメラというのは人間の体や四肢の動きをコンピューターに取り込む装置です。コンピューター内でVRゴーグルの位置や向きをリアルタイムで管理することで、人間が首を動かした時はそのぶんVRゴーグルに出力する映像を動かす、という処理を行います。
 元は3DCG映像内で人間のキャラクターを実際の人間と同じ動きで動かすための技術でしたが、Microsoft社のKinectなどによりより軽便に利用できるようになっています。



利用所感:

1.高い没入感
 デモプレイで遊んだゲームはいずれも数日で作った、または一昔前のゲーセンに置かれてそうな安っぽいもの揃いでしたが、視界を完全に画面が覆い、首の動きに連動して画面が動く没入感は圧倒的でした。私が遊んだのは
①ジェダイの騎士になって飛んでくるブラスターのビームを跳ね返す
②ジェットコースターに乗る
③ゾンビを撃つ
の3つでしたが、いずれも自分がどこにいるのか忘れてしまうほどでした。特筆すべきはジェットコースターで、実際はただ椅子に座っていただけなのに、画面内で急降下したり左右に揺れると体も合わせて傾いてしまうのです。さいごには叫んでいました。VRの視覚特性を生かすならああいったアトラクション要素の強い体験ゲームが理想的なのかもしれません。逆に、既存のコンシューマ/PCゲーム(マウスとキーボードないしパッドで遊ぶ)とVRがリンクする機会は思ったより少ないかもしれない、とも感じました。ただ、次世代ゲーム機の皮をかぶった体操器具と言われていたWiiも最終的には普通のゲームハードっぽいソフトラインナップになっていたので、前提ハードとしてVRが普及するのはおおいにアリと思います。


2.制約
 ゲーム体験としては最高でしたが、体験に際してあらゆる方向に制約があると感じました。

2.1 動きの制約
 上述のようにVRではユーザーの位置座標の検出にモーションキャプチャーカメラを利用しています。私達が体験した環境では、2つのカメラが対角線上に壁の高い位置にセットされており、ユーザーを見下ろす構造になっていました。即ち、このカメラの写角内が実質上のプレイの範囲内になります。これはカメラのセット距離に依存するので、上限はあれど部屋が広ければそれなりに広く遊べるでしょう。問題は最低限遊べるだけの広い空間を自宅に確保できるかで、誰もが用意できるかといえば難しいでしょう。
もう一つ動きを制約していたものがあります。実は体験したVRゴーグルは有線式で、装置の後ろから出たケーブルがパソコンと直につながっていました。デモでは天井にケーブルを吊り下げる中継タグをつけて、それをカーテンレールで可動させていたのでケーブルが突っ張って動けないという場面はありませんでしたが、それでも遊びながらぐるぐる回っているうちにケーブルが体に巻き付くような場面は見受けられました。年内にも無線式モデルが出るだろうそうですが、完全に自由なプレイはまだ先だなと感じました。

2.2 導入の制約
私の部屋は家具模様をデフラグしてがんばれば8畳ぶんぐらいの面積が確保できるので、値段次第では導入もかくや、と体験した直後は考えていたんですが、値段と導入ハードルを考えて冷静さを取り戻しました。私が体験したHTC VIVEを例に考えましょう。最低限構成ではなく最低限度快適構成で、デモと同じ環境を作るとして、

HTC VIVE(ゴーグル本体)                   - \107,784
ベースステーション2基(モーションキャプチャーカメラ)  - \34,000
コントローラー2基                       -  \32,000
3-in-1ケーブル(長いUSBケーブル)             - \4,900
リンクボックス(USBやHDMIとゴーグルを中継) - \3,700

この時点で小計は                       - \18,2384
にもなります。また、デモ中に補助役のお姉さんにチラッと聞いたところ、デモ用のマシンのビデオカードはGeForceのGTX1060だとか。現状の私のPCは1000番代には遠く及ばないのでこれも購入となります。ケチっても仕方ないのでグラフィックメモリは6GBのものにすると、最安でも¥28,000台(価格コム調べ)になります。上記の小計に\28,000を上乗せすると\210,384、20万超えます。いやぁ~キツイっすわw
 
 これはVRを取り巻く業界全体の傾向なんだそうですが、技術的に模索状態な現状、廉価な一般市場向け製品を出すよりは高価でハイエンドなモデルを次々出してゲーム機として確かな手応えがつかめるまでは開発を続けていく、という状態だとか。確かに遊んでみた感じ、今すぐ現状のゲームハードたちのお株を奪えるかといえば微妙な感じでした(PSVRという例外がありますが)。逆にPSVR相当の家庭用ゲームと地続きのVRデバイスは各社計画しているところかと思いますので、17年中には出てくるのかなと予想します。そういう意味では、ただVRで遊びたいと考えている人はパソコンで動かすVRシステムを待つぐらいなら家庭用ゲーム機を買ったほうがいいと考えます。

これを読んでいるなかに、まだVRには触れたことがないという方が居ましたら、週末にお近くの体験ブースで体験してくることをお勧めします。感動しますよ。




ところでみなさん花沢健吾先生の『ルサンチマン』という漫画はご存知でしょうか。
20160329005007.png
プロセッサが高性能化しVRが広く普及した近未来の日本で、女性に縁がなくこのままでは一生独身になると危機感を抱いた主人公が友人の勧めでVR装置と専用のギャルゲーを購入するところから物語は始まります。冒頭のあらすじだけ見るとSAOか?と思いますが、SAOが意識が飛んじゃうタイプのSFちっくな仮想現実世界なのに対し、ルサンチマンの仮想現実は極めて現実的で、ほぼ上で紹介した現在の機器構成そのままです(より”高度”なオプションパーツが出てくるぐらい)。ストーリーはWikipediaにあるので読んで下さい。すごく面白いですよ。
 同作品が連載されていた頃はオンラインゲームにのめり込む人々が社会問題になっていた頃で、同作品もそういった背景を取り入れているものでありますが、VRが現実のものになった現在に読み直してみると、また違った印象をもつかもしれません。

プロフィール

複素数

Author:複素数
名前:複素数
新都社で『伯方さんと僕』という漫画を連載しています。http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=12094
pixiv: http://www.pixiv.net/member.php?id=797664

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