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編集後記:太線、黒ベタ、ハッチング。の世界



 準定例で更新の後に毎回書いてる編集後記です。
 今回から始めた新しいことってあまりないのでそんなに書くことないのと、今めちゃくちゃ眠いのに明日仕事なんで簡潔にやっていきましょう。

 内容についてですが、起稿した時モチベーションが低かったせいでかなりページ数が少なくなっていて、次で1話終わらせようとすると20弱行くんじゃないかと今若干頭を抱えています。それは良いにしても、やはり一回たったの7pというのは寂しいですから、掲載サイトの制限(1更新5p以上)とは別に個人的に一回10、ないし10でキリが悪いなら13くらいで制限を儲けようかと。あくまで内容ありきの話ですが。

 技法の話です。新しいことは何もしてないと書きましたが、よく考えたら色々やってました。具体的に言うとタイトルにある、ハッチング(網掛け)の利用に関することです。前に編集後記で黒の利点について触れたような記憶がありますが、これも同義で中間色の利用比率が減ります。3話の7pを執筆する過程で色々なペン画イラストを描いて検証したりしていたので、実際に使ってるのは最後の2pくらいですが、それでも実際見てもらえれば言ってることの意味はわかるかと思われます。ハッチングの技法は黒髪表現、陰影、色など主に人物描写に用いました。現状の自分の応用可能な範囲では、背景に同じような処理をするとキャラクターの輪郭がぼけてコマがうるさい印象になるという結果だったからです。これについては今後結論を出すとして、私個人の判断としてキャラクター描画の方法に関して一応の完成を見たという判断を下せた事は、停滞気味だった描画技法学習の過程で大きな意味を持つのかなと描いてて思ったりしました。もう「何をどう描くか」に迷いながら原稿をしなくていいと思うと、なんだかつかえが取れた気分になります。頭空っぽにしてもできるくらいに作業をルーチン化できるほど理想的なことはありません。ちょっと触れた、原稿中に描いた関係ないイラストはピクシブしてあったと思うので気になった人は参照してください。

 課題の話です。7pしかやってないのに課題なんか出ないだろって気もしますが、今回一つ問題が解決しているので、従前からある課題のうち残ったものを挙げます。

・背景の明暗表現
・黒ベタの使用

 明暗表現についてですが、自分でも自分の漫画は白いなと思うくらいで、色が足りてないのが分かります。ところが、暗い場所を表現する際にカラーイラストの要領で中間色をドプッと使うと極めて印象がボケた画になってしまいました。従って、そういう場面では黒ベタを大胆に使いカシッとしたキレを演出できるようになりたい。そういう事を今回感じました。まぁ今回に始まった課題じゃないですが。黒ベタが使える利点はそれだけではないです。完成と言ったキャラクター表現も実際だいぶ白いので、ハッチングとは別に黒ベタをたくさん使えることが望まれます。
 具体的な達成手段としては、従来の執筆過程が白キャンバスに黒ペンでゴリゴリ描いてく過程だったのに対して、部分的に一度黒く塗りつぶした箇所に白ペンで(実際は透過モード)削りを入れていく方法が見込まれます。次はそれ試します。



 以上。
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メディアの壁 漫画と小説

 久しぶりの更新になりました。色々投稿したいテキストはあったのですが、書いてるうちに文書量が膨大になりすぎて途中でやめたりしていました。

 ときに、ここ数週間で書き溜めてた小説を新都社に投稿しました(勇者の居ない8月)。同サイトに小説を投稿するのは三度目ですが、過去二回は途中でぶん投げています。確か魔法の国で戦争を起こす話と、架空史世界でウナギの怪物を追って東南アジアまで行く話でした。これら2作と、数年来極めて低調な活動に甘んじている漫画について個人的に今回共通点を見出すに至ったので、最近漫画をぱったり描いてない理由とその辺の話を絡めて記録的に書いておきたいと思います。(それにしても小説ってコメントつかないっすよね。初めてじゃないけど)

 その前にまず今作の立ち位置みたいなものを書いておきましょう。書かないと忘れそうだから。本作はもともと漫画用に作ったプロットで、某ラノベ原作アニメを観てドハマリした後に「これパクろう(爆)!」と思ってネタ帳に書き上げたものでした。結果として似ても似つかない話になったのでそのへんはまぁどうでもいいんですが、小説で描き始めたからといって漫画で作品にする事を諦めた訳ではないので、まぁいつかね機会があれば世に出したいよねみたいなことは今も思ってます。ただ、私の原稿生産力は1の描ける時に対して9のダメな時があるようなレベルで、実際2011年に始めた中編漫画がまだ終わってないという始末なので、いつかどこかでみたいな事言ってたら死ぬまで無理でしょってことは自分で理解しています。
 ところで小説一般について私は以前、このブログでもどっかで書いてたかもしれませんが「長文が読めない」「まして書こうとすると頭が痛くなる」という見解でした。読む方は変わってないですが(投稿しといてこの言い草)、書くほうについては現にそこそこのペースで書いて投稿してるくらいで、現状改善しています。これには明確な事情が存在します。
 私は元々、中学高校の頃は結構読書量が多いほうで、小説なんか齧るように読んでいまして、書く方にもモチベーションがありました。ただまぁ漫画のほうが好きだったのでそっちに行った訳ですが、小説についても理論的な面で一家言ある小生意気なガキだったわけです。漫画についても力の入り方は異なりますが、現状同じです。こだわりがあります。そして、そのこだわりが曲者だったのです。
 高目低手という言葉があります。その人の自己認識や目標に実力が果てしなく追いついていない滑稽な状態を指すことばで、物を作るモチベーションはあるのに手が動かない素人に対してよく引用されます。つまり、私もこれに該当する訳です。

・詩的な雰囲気を排除する
 技術的な側面に注視してみましょう。小説を書く時、私は好んで一人称型の語りを用いますが(それしかできないとも)、その中で本文描写は2つのチャンネルの出来事を並行して交互に書く形態になります。具体的には主人公に対して現実で起こった出来事と、主人公が感じたことです。それぞれ200文字くらいずつ交互に重ねていく文体です(こういう書き方に名前があったが思い出せない)が、このうちの後者に情景描写が含まれます。漫画で言うバストアップ漫画(登場人物の顔アップが交互に描かれているだけの漫画を蔑んでこう呼ぶ)のように、小説にも避けるべき進行があると私は無意識で考えていました。あるいはどこかの技術解説で読んで知っていたのかもしれません。一つは会話劇をセリフの羅列だけで進めてしまう形式です。これはSSなどとして定型化されていますが、普通の小説でやると見栄えが悪いです。2つ目が、1つ目ほど見栄えが悪くないにせよ避けるべきとされる、情景描写が圧倒的に不足している文章です。つまり、誰が何して何を言った、それに対して誰がどうしたのはこう思う、みたいな話だけで物語が進行してしまって、それがどこで行われているのか、場所によって登場人物たちは何の影響を受けているのかがすっぽり無い文章です。これは密室劇などでは当然こうなりますが、そうでない場合はダメと、私は習った記憶があります。そしてこの刷り込みが上記の「頭が痛くなる」原因だったのです。情景描写をする上で、頭の中に思い浮かべる必要がある部分はどこでしょう?私はその場にあるもの全部だと思っています。情景の色、光加減、空気、臭い、湿度や足場の触感、あるいは誰かの視線などなど。それら全部を適時に文中に挿入するためには、常にカラーの映像として作中を想像していなくてはいけません。これが漫画なら、だいたい「目で映るもの」だけ考えておけばいいのですが、小説の場合は五感すべてが感じる事について書く余地があるため、必要に応じてそれらを想像することになります。さらにそれらを物語の進行に都度都度絡めていくなど、プロならぬ素人の私には困難でした。でも、それをやめればくだんの素人くさい滑稽な文章になってしまう。そうなるくらいなら描かないほうが良い……。それこそ頭痛の原因だったのでした。
 ところが、本プロットの場合はあくまで漫画に対する予行演習のような性質であり、また小説と漫画の描画範囲の違いを考慮して物語のあらすじ以下の部分で自由に変更を加えることも可とし、その上評価を求めないという大前提を作ってあったため、ハードルは極限まで低くなっていました。さらにプロットがラノベっぽい(これは私の中にある偏見に基づく評価であり、その問題性については批判をうける用意がある)ことも、技術的ハードルを下げました。結果、情景描写を最低限に絞って物語の進行だけを点々と伝える紙芝居様の小説で可であると、事前に定まりました。
 一度そう決めてしまうと人とは不思議なもので、筆の乗ること乗ること。序盤は時間がかかったものの、今は二晩あれば1話書けるくらいには筆がノリました。ここに来て私は「高目低手」、あるいは「完璧の病」の恐ろしさを真に理解したのです。

・「よい結果を求めない」「作品に対し適当に接する」
 では漫画はどうか、漫画で同じことが実行可能か?と問われると、現状ではNoでしょう。小説ですら、あれだけお膳立てが必要だったのです。私はもう8年素人漫画描きをやっていて、個々の点では一定の自己評価を達成しています。それをいきなり鶴の一声で気持ちを切り替えるというのは難しいでしょう。検証する方法は一つです。私が何の外的兆しもなしにいきなり小説を描き始めたように、原稿に対して自発的に取り組めるような気持ちになるまで待つのです。そのまま漫画卒業になる可能性もありますが、執筆に対して楽しさを感じていない訳ではないので、上記テーマを常に意識していけば近いうち、スイスイスラスラ雑な原稿を量産できると信じています。新都社のローカルスラングでいうところの”クソ漫画”くらいのもので良いんだと、口先だけでなく心から言えるようになったら、その時は更新報告で会いましょう。


 本当は小説と漫画の描画範囲の違いによってどんな内容の改変が予測されるか、すでにやったかみたいな部分に触れたかったのですが、夜更かししたくないのでこれで終わりにします。


 追記:明日バイトの面接です

提案:報われないヒロインのカタルシスとは -名作映画の人間関係に見る一例-


 こんにちは、お久しぶりです。就労してから一時期はまったくアニメを見ない虚無オタクになっていた私ですが、ここ3期ほどはほぼ連続で1作品以上のアニメを見ています。何も見なかった時に比べ、気持ちにハリが出るように感じられてとても気分がいいです。
 そんな流れもありましてつい先日、ダーリン・イン・ザ・フランキスというロボットアニメを6話まで一気に見ました。とても好感のもてる作品だったので、今後も視聴していこうと思います。このアニメ、10代前半の頃にぼくらのとかエウレカとか見てきたわたし世代には殊更刺さる感じのアニメだ、というのとは別方向で界隈を熱くしているようです。

「青い子は不憫」でいい。それでも彼女は生きていて僕たちは生かされている。(サカウヱ)

 あー好き。ほんと好き。と、いち創作趣味者としても思うところありましたので背景を整理などしておくか~など考えていましたところふと、ある映画の主人公の事が頭に浮かびました。その映画は1780年代のウィーンを舞台に、当時ヨーロッパじゅうでその才能を知られていた劇作家・作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトと、同じくウィーンの神聖ローマ帝国宮廷で宮廷学長を務める劇作家・作曲家アントニオ・サリエリの確執と描いた映画「アマデウス」です。実はこの映画を見た今年の頭に、感動したので感想書くべさと勇んで草稿を作っておいたものの長くなりすぎて放置していたというのもありまして、今回はその草稿を大部分流用したものとなります。先に申し上げておきますと、主題関係なくほとんど映画の話です。無理にくっつけずに映画感想だけ単体でも良かったんじゃないかとはちらっと思いましたが、とにかく書きます。

***以下、映画本編の感想***


 映画アマデウスを見た。のは1月末なのだが遅ればせながら感想を書く。
アマデウス
 中身は知らなくともこのポスタービジュアルを見たことがある人は多いのではないか。中央にどかんとシルエットで描かれた人物が、白い目だけをぎろっとこちらに向けている。シンプルながら印象的である。私もこの映画を知ったのはこのポスタービジュアルに目を惹かれたからだ。

 さて感想と言ったが、脚本とか時代背景とかを長々書き連ねて表することはしない。この映画は面白かった。五つ星満点が相応しい。問題は何が面白かったかであり、そのうち何をパクって自分の作話に活かせるか、この点に絞って振り返ろうと思った。この映画は完璧であるから、面白さに寄与している点がいくつもある。以下に列挙する。


何が面白かったか:

1.忠実な時代考証・ロケハン
 解説によれば主要な舞台となるウィーン市の町並みやいくつかの歌劇場は現存する当時のものやプラハの町並みを使っているのだそう。加えて当時の風俗文物、風習や娯楽や服飾、あるいは料理や音楽まで、背景に非常に凝っている。18世紀のウィーンにロケに行ったんだろう、そう思えるほど舞台セット感がなかった。これは真似出来ない。

2.精細で巧みなキャラクターの心情推移と帰結
 主人公であり語り部でもあるアントニオ・サリエリ先生の、当人の言葉によって語られる心情と殺人計画の進行、そして顛末。★が5つあったとして、3つ半は間違いなくこの部分によるものだろう。以下ではこれについて突っ込んで考えていく。(いくつもあるとか言って二つしかなかったわごめん)



 その前にサリエリ先生と、彼が気を揉む相手であるモーツァルトの作中でのひととなりについて要点を上げておこう(なお本作は相当部分が創作であり、特に二人の関係については史実とは異なっている)以下ネタバレ。


 ・サリエリ先生
 本名アントニオ・サリエリ。神聖ローマ帝国はウィーンの神聖ローマ帝国宮廷で宮廷楽長を務めたイタリア人音楽家(この時代、イタリアは芸術の先進地域であり欧州のどの国でもオペラや歌劇は基本的にイタリア語で公演されるものだった。然るに音楽界でもイタリア出身者が幅を利かせていた)。彼の幼少時代の経歴には劇中冒頭で若干触れられるが、彼は本編開始時点で神聖ローマ帝国の宮廷楽長(=ヨーロッパ音楽界の頂点)の地位に上り詰めているので作中では重要ではない。相対的に見ると彼は相当に地位が高い人物で、金も名誉も充分に持っているのだが本作は彼の視点によって描かれるため、天才への嫉妬とその才能への尊敬によって板挟みに遭う凡人という立ち位置になっている。

 ・モーツァルト
 本名ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。神聖ローマ帝国ザルツブルク生まれのドイツ人(当時は国家への帰属や愛国主義に基づく国家意識が今ほど明確ではなく、そもそもドイツという統一国家もないのでドイツ系はどこでもドイツ人だった)。歴史に埋もれ忘れ去られたサリエリ先生とは対象的に後世にその名を残した大天才であり、作中では天賦の才によって誰にも達し得ないほどの作曲・作劇能力をもった人物として描かれる。幼いころに父親によって音楽の才能を見出された後すぐに高等な音楽教育を施され、その後は神童としてヨーロッパじゅうの宮廷や都市をめぐって才能を見せて回る旅をしていた。そんな生い立ちのせいか、あるいは神が音楽以外の才能を全く与えなかったのか、後世の評にもあるようにかなり「破天荒」な人物として描かれている。才能はあるが社交性も生活力も金銭感覚も皆無というその姿は、天才とかカリスマという言葉がもつ悪い方の意味もしっかり付与されているキャラクターだといえる。また父のコントロールのもとで長く過ごしてきたことから、父親とはコンプレックスに近い複雑な関係であった。物語の後半では第二の主人公として、家族を持ち経済的に独立し父を喪うという人間的なイベントのなかで徐々に消耗していく天才の姿をみせる。



・最大の努力をしてもなお及ばない自身の無力さをちょうど理解できるだけの才能

 サリエリ先生はヨーロッパ音楽界の頂点に立つに相応しい才能と能力を持ち、それに見合うだけの地位と名声を得ていた有能な人物だ。そのうえ勤勉で、かつ幼少期に立てた誓いに基いていい年して純潔を守るような誠実な人柄である。そんな人が、才能という一点だけに秀でた無礼な若造に、どんなに努力してもかなわない事を悟ってしまうばかりか、その若造の才能に心酔してしまうのだ。
 サリエリ先生の場合は力負けするだけではなく、モーツァルトへの嫉妬から完全に人生の調子を崩してしまっている。既に充分といえるほどの成功を収めているにも関わらず、モーツァルトしか眼中にないサリエリ先生にとっては自分の才能や業績など無価値な凡人のそれでしかないと彼は考えるようになる。その認識が嫉妬に火をつけ、モーツァルトが死ぬように暗に仕向けるという凶行に彼を駆り立てる。才能と地位と名声の全てを手にした宮廷楽長が、直接ではないにせよ怨恨殺人者に成り下がってしまうのだ。この、地位と名誉を兼ね備えた大の大人を一歩も前に勧めないデッドロックに陥れた関係性こそがこの映画の核だと私は感じた。




***草稿ここまで***



 映画の感想としては総評の部分が抜けていますので、ここで本稿の主題に引き継ぎましょう。上記のサリエリ先生は中年男性であり、少女を外的にも内的にも消費するというアニメ的カルチャーからは縁遠い訳ですが、これが例えば美少女だったら如何になるでしょう。


・すべての試み、努力、願いが破綻へと収束することが確約されているポジション

 殺人者うんぬんというのは別にしても、自分が何をしても完全に相手におよばない事が分かりきっているうえ、相手を憎むこともできないという先生の状況を10代の美少女ヒロインに適する形に書き換えてみましょう。アニメで美少女とくればたいていは主人公を取り合う(あるいは単独の)恋愛についての話です。特にティーン・エイジャー向け作品(要するに夜やってるアニメやライトノベル)について顕著ですが、恋愛主題にせよ主題とは別の群像劇要素の中の男女関係に恋愛が付随するにせよ、恋愛要素のない話のほうが少ないのではないかと思われるほど、物語にとって恋愛要素は普遍的なものです。先生の例に倣うなら、このヒロインが抱いた恋は叶いません。場合分けで考えてみましょう。


・初めから決まっていたかのごとく恋の鞘当てで負ける安牌選択肢ヒロイン

 恋愛は相手があるものですから最低二人で行うことになりますが、それ以上の場合もあります。一人の異性をめぐって複数の同性が火花を散らす展開ですね。マルチエンディングが前提のギャルゲーをアニメに仕立てたものや、視聴者層の多様な需要を満たすべく複数のヒロインが用意されているアニメではしばしば、誰か一人を選ぶことで残りのヒロインは余ります。(ただし、あまり安直に奪い合いを描写すると凄惨になってしまうので、ハーレムなどと言って全員とのゆるい関係・八方美人を許容したり、奪い合いをするにしても予選的な出来事を経て1対1に絞り込んでおくなどの対処がなされる場合が多いかと思われます。1対1に絞っておくのは敗者が団結して主人公を数で糾弾する展開を予期させないためです)ところが、これは見る側のちんちんの都合とでも言うべきかと思いますが、余った子にもしばしば笑顔が要求されます。観客が自己投影すべき主人公がフッた子が、結果をよしとせず意気消沈したり恨み節をつぶやいていたりすると、せっかく成就したほうの恋に集中できないし後味が悪いからです。これを正当化すべく、あるいは本稿で提示する効果を意図的に狙ったうえで、ヒロインが不貞腐れることを防ぐ状況を作っておく場合があります。いい例がヒロインの恋のライバルはヒロインの親友でもあり、というやつです。冒頭にリンクを掲載した記事で言われる「青い子」にもこのパターンの子は多いかと思います。
 この「パートナーの獲得(物質的充足)が失敗したうえに精神的にも不自然な振る舞いを強要され充足できない」デッドロックを、ヒロイン(の人格)を内的に消費する行為だと私は考えています。直感的ではない表現になっていますが、例えばアニメキャラを外見的=肉体的に消費するといった場合は性的に見る、あるいは作中で性行為をさせるなどで、そのカウンターから言えばキャラクターの人格に外的な力をかけて、あるいは傷つけることとが内的な消費だといえます。外的な力をかける、というのは例えば苦境に陥るような展開に持っていくというような意味です。これがなぜ消費になるのかについて事項で抜き出して書いていきましょう。


・内心の不道徳が肯定されるのが物語

 物語のカタルシスの原理から言えば、物質的か精神的かに問わず登場人物が制裁をうけるには、制裁に見合うだけの理由が必要だということになります。ラストで主人公に倒されるためには、悪役は序盤に相応の悪行をこなしておかなければなりません。そうでなくては、主人公の下す制裁の手段である暴力や悪意ある行為が正当化されないからです。この理屈に従えば、作中で主人公にフラれるヒロインは何か悪行をしていたことになりますが、例えばヒロインが冒頭で貧しい農民を切り捨てたり小さい子供からお菓子を奪ったりしているようなことがあれば、別のもっと大きい問題になるでしょう。では報われないヒロインの罪はなんでしょう。美しく生まれてしまったことでしょうか?違います。
 視聴者の投影対象である主人公の選択によってフラれたヒロインは明確に展開から制裁を受けている訳ですが、この場合は上記の原理は適用されません。ここで満たされる視聴者の感情は、悪人が廃された開放感ではなく、自分の意思で他者を束縛したという征服感です。他者を自分の意思によって束縛したいという征服欲は現実ではあまり褒められた感情ではないですが、物語は人間の願望と快感によって生まれたものですからこれは尊重されるべき原理です。
 報われないヒロインのカタルシスは、報われないことで満たされる視聴者の征服欲によって保証されているのです(背景にある原理はこれだけではありません)。


・最も惨めなライバルなき敗北

 ここで、補足的になりますが上で触れなかったシチュエーションについても考えましょう。本稿では映画アマデウスのサリエリ先生を起点に報われないヒロインについて考えてきた訳ですが、サリエリ先生に立場を共有するライバルは居ませんでした。というかモーツァルトがライバルだった訳ですが、モーツァルトは恋敵というより片思いの相手でありますから、一人の異性を複数人のヒロインで取り合うシチュエーションよりも、一人の異性に一人のヒロインのほうがよりサリエリ的です。青い髪のあの子にライバルが居なかったら、何が起こるのでしょうか。
 勘違いしてはいけないのが、ライバルが消えたからと言って障害が無くなったという訳ではなという点です。二つ上の項では適切な具体例が思いつかなかったので触れませんでしたが、サリエリ先生流に行くなら「何らかの事情で」恋愛は成就しません。それは立場上や二人の願望のズレ、あるいはもっと外的な事情が突然降ってくるか分かりませんが、とにかく二人は結ばれません。
 この場合、例えば主人公が病死したり戦争が起こった、みたいな事情だとただの悲恋物語になってしまうので少々複雑ですが、要するに「ライバルも居ないのに、据え膳だったのに上手く行かなかった」という状況にヒロインを落とし込むことが肝心です。理由は告げられなくてもいいかもしれないですね。
 この惨めさ!不条理さよ!これこそ「報われないヒロイン」像の完成形ではないかと信じて止みません。こういうアニメあったら教えてクレメンス!



総評:

 ここまで映画アマデウスの主人公サリエリ先生を例に、報われないヒロインがなぜ可愛いのか、なぜ見てて気持ちが良いのかについて自分なりに明らかにしてきました。これらの文章は意見であり、事実であるとは限らない点についての注意を重ねて述べておきます。
 もし、これを読んだあなたがお話を描こうと思ったら、その時はこの狂ったブログを思い出して、報われないキャラクターを出すかどうか一考してみるのもいいかもしれません。おわり。

 あとちょっと思ったんですけど、アマデウスを登場人物の性別を変えてそのまま、あるいはキャラクターの立ち位置だけを持ち越した別の物語として誂え直したら面白いんじゃないんですかね。

編集中記

 いつもは更新の後に一話分の作業を振り返って反省をするシリーズ「編集後記」ですが、今回は作業方式の変更の関わりもあって全工程終了前に一度メモ的に今回の変更事項について記しておきたいと思います。


・作業方式に係る変更

 従前、私が原稿を仕上げる場合、ネームの後の工程についても工程ごとで区切って1から終わりまで進めていく方式でした。つまり、例えば17pの原稿があったとして、ネームを17pぶん終わらせた次に行うのは鉛筆下書きを17pぶん進めることであり、それが終わったら線画ペン入れを17pぶん一気に進めるというやり方でした。
 漫画を書き始めた当初では、一話分の区切りとか更新当量目安とかの概念がなく思いついた順に5~7pくらいで書いていたのですが、これがプロットを組むことを覚えていくに従って一話の容量が10pを超えるようになり、今ではだいたい週刊連載1話ぶん(15~20弱)くらいでまとまるようになっているのですが、このページ数で上記の方式をすすめると途中で飽きが来ます。飽きるとどうなるかというと、原稿作業を止めて他のことを始め、やがて原稿のことを忘れます。これが従来繰り返されてきた更新遅延の根本原理です。
 新しい作業方式では、作業項目ごとだった作業を、ページごとに変更します(ただしネームについては従来通り一括で行います)。ネーム終了後に行うのは全ページぶんの下書きではなく、1p目の下書きです。その次に行うのは1pの線画、ハッチング、背景、トーン…と続きます。そうして1p目が終了したら、次は2p目の下書きにとりかかるというものです。
 この方式の利点はまさに作業内容が適時変わることで、飽きが来るのを防ぎます。しかしながら、この作業内容が頻繁に変わることがまたデメリットでもあります。作業項目を移る時、例えば下書きが終わって線画に移行するといった状況では、多少の頭の切り替えを要求されます。それが頻繁に来るというのは辛い時は結構つらいもので、時に手がとまったりします。ただ、慣れである程度克服できそうな感じが既にあるので大丈夫そう…だといいな?


・作画技術上の変更

 見かけ上分かる変更として、ハッチングを導入したことについてもここで書きます。以前の私の原稿では、輪郭線以外の色彩や陰影表現はすべてトーンで補っていました。これはあまり見栄えのいいものではなく、私自身ずっと悩んでいました。線の太さで最大限陰影を補ったりしてみましたが、まさか線でびっしり原稿を埋める訳にもいかず、頭を抱えていました。そこで登場するのがハッチング(網掛け)です。
 参考にしたのは宮﨑駿の風の谷のナウシカ(漫画)です。同作はトーン処理を最小限にして、基本的にはハッチングとベタ処理で人物から背景に至るまで色彩と陰影を表現しています。劇画ともちょっと違う、どちらかというと中世ヨーロッパの木版画のような質感です(その上で違和感なく見えるのは宮崎氏の技量によるところ)。ここで詳しい分析は致しませんが、基本的にはこの作風を参考に作画をしていきたいと考え現在も執筆しております。
 具体的な変更点については上げればキリがないほどで、あるいは未だ試行錯誤の状態ですので具体的にこう!とは申し上げがたい部分なのですが、まず黒髪の表現が70%のトーンからハッチング表現に変わりました。見栄えの点では未だ疑問符が浮かぶ程度ですが、表現の自由度という意味では(少なくとも変更については)満足しています。何より、ペン一本でできる表現の幅が広まったというのは純粋に嬉しいことです。


追記:

 そんなわけで一度リリースしましたが、いくつか反省点が見えてきたのでその点についても考慮します。

・ハッチングの密度
 トーンをおさえてハッチングで補ったつもりでしたが、圧倒的に白い原稿になってしまいました。つまりハッチングの密度が足りなかったわけです。また、ハッチングとベタで表すグラデーション表現も黒髪部分だけで使うと周囲が白いので浮くことがハッキリわかりました。もっと黒ベタをガンガン突っ込んでいかなきゃダメそうです(と言うか背景を描け)。追加ついでに、中記時点では仮に禁則としていたハッチングでのグラデーション表現とトーンの併用については、やったほうがよいという事がわかったのでこれも改善します。

・輪郭線のアンチエイリアス
 ラノベっぽいタイトル(笑)。どうも打ち出して縮小した原稿をブラウザで確認すると、そこまで露骨ではないにせよ若干輪郭がささくれているような印象がありました。後で再確認しましたところ、ウェブ表示状態と打ち出した直後では特に変化がなかったので、縮小の仕方が悪かったのか?とも思いましたが作業環境がSai1なので高機能なエンコーディングが出来るわけでもなく困ったなあといった具合です。とりあえずの処置として、描画時の線の品質(従前は速度最優先=荒くなる)の調整など出来る範囲でいくつか条件を変えて試験してみようと考えています。まぁすぐ終わりそうだし

DOOM4 ストーリー類推


 先日DOOM(2016)を1年ぶりに遊びなおしました。このゲーム一部ではDOOM4と呼ばれたりDOOM(2016)と呼ばれててわかりづらいですが、DOOM4は製作途中で企画がキャンセルされた幻のアルファ版を指す場合もあるので、以下では正式名称に則ってDOOMと呼びます。シリーズの歴史とか作品の概要は各自調べてください。


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DOOM(steam)


 このDOOM、個人的には全方位でレベル高いコンテンツだと思うんですが、ネットで調べても「DOOM最新作、先祖返りでDOOM系(全方位から押しかけてくる敵を撃ちまくるゲームデザイン)に戻る」だの「頭空っぽにして銃を撃ちまくる爽快アクション」と言われたり、果ては「シリーズの伝統ですが(笑)ストーリー的な要素は皆無なので目の前の敵を倒していきましょう(笑笑)」などと書かれています。
 特に最後、これは最新作DOOMでは明確な勘違いで、ストーリーは用意されています。それもDead SpaceやCrysisといった同系シングルアクションゲームと肩を並べて追い越せるくらいには世界観から展開まで作り込まれているのですが、ストーリー展開がプレイ内容にコミットする割合を意図的に抑えて作られていることと、アクション性が強すぎて細かく見ている暇がないため普通にプレイしている限りではあまり重要ではないのがこのような論説の土壌になったのではと考えています。
 そういった背景もあり、日本語インターネット圏で検索しても本作に関するシングルプレイヤーのストーリーに関する考察はおろか解説すらろくに出てきません。本稿ではこの、光の差し込まない「アクションゲームのストーリー要素」について本編中の文献資料などを元に世界観などを確認していきたいと思います。



時代設定:

 劇中の年代は作中の記述から2145年(もしくはその数年後)と思われます。ハイデン博士の言によれば、この頃の地球は深刻なエネルギー危機の瀕しており、地獄の開拓とそれによって得られるエネルギーはその危険性を考慮しても不可欠であるとのこと。以下、コーデックスの記述を参考に年表を。

2095年:火星の地表でアージャントの裂け目(次元を超えて移動する、精製されていないアージャントプラズマの流れ)が発見される。
(注釈:アージャントUrgentとは差し迫った・緊急のという意味。プラズマは高エネルギー状態の物質が電離した状態で、アージャントプラズマは重金属の同位体元素ととれるような記述がなされています。また、アージャントエネルギーは一箇所に大量に集まるだけで大小の異次元ポータルを開いてしまう性質が示されていますので、この頃からデーモンとの遭遇はあった可能性があります:注釈おわり)

2096年:UACによりアージャントプラズマを採集・精製することでエネルギー源として利用することが計画され、それらの施設(アージャント施設)を建設・運用する人員が居住するための大規模な移住計画、それに伴う火星のテラフォーミングが始まる。年内には小規模なアージャント精製基地が完成している。

2130年前後:火星のテラフォーミングが完了(時期推定)

2145年:ラザロ計画有人調査によりカディンガー至聖所(注釈:至聖所とは宗教施設において最奥にある、最も神聖とされる部屋のこと。この場合は巨大な神殿群を指しており、ざっくりと聖地とかのほうが妥当かもしれない:注釈おわり)が調査され、大量の碑文・文献資料とともにドゥームマリーンと名付けられた人間が入った石棺とプラエトルスーツが回収される。ただしデーモンたちの激しい抵抗に遭ったことで調査隊はハイデン博士を除き全滅。

ゲーム開始直前:オリビア・ピアス博士と彼女の教団によって、ラザロ計画で火星に捕獲収容されていたデーモンたちが放たれ、UAC職員(総勢61000人強)は最高責任者のサミュエル・ハイデン博士とピアス博士を残して全滅する。デーモンたちは職員の遺体を使って「ゴアネスト(アージャントエネルギーに依存しない小さなポータル)」を作り、各所で無尽蔵にデーモンを呼び寄せていた。その頃、ラザロ計画によって火星に持ち帰られた後に行方不明になっていたドゥームマリーンの棺が開かれ(誰によって)主人公が目を覚ます。

ゲーム開始後:主人公ドゥームマリーンによって火星に展開したデーモンの多くは駆逐され、デーモン軍団の火星侵攻の地球側協力者だったピアスも死亡し、ポータルも完全に閉じる。さらに火星にあったアージャントプラズマ精製施設もドゥームマリーンの手によって完全に破壊され、人類が地獄に接触する手段は(当面の間は)絶たれる。詳細は遊んで確かめてほしい。



登場人物、用語:

・ドゥームマリーン(主人公)
 主人公。プレイヤーキャラクターでありプラエトルスーツというスパルタンのような未来チックアーマーに身を包んでデーモンを殺しまくる。人間であることが明示されているが、実は作中で一番重要な地獄の遺物。その正体はUACとハイデン博士によって行われた「ラザロ計画有人調査(おそらく2145年)」によって地獄から持ち帰られた石棺の中で眠っていた一人の人間であり、地獄の第一期に復讐に目覚め、デーモンたちを相手に殺戮の限りを尽くし恐れられたドゥームスレイヤー本人である。彼はデーモン(闇の軍団)とデーモンに関わるものすべてを憎悪しており、その怒りはハイデン博士の作り上げたヘルエネルギー(アージャントプラズマ)を回収するシステムにも向けられる。

・サミュエル=ハイデン博士
 火星でのUACの活動の責任者であり、アージャントの裂け目で発見されたプラズマ、もとい地獄を人類のエネルギー源として利用するという狂気を実現させてしまった男。アージャント施設で精製されたエネルギーを地球に送り届ける施設である「アージャントタワー」建設中に脳腫瘍で余命わずかであったことが発覚したが(この時点で100歳近い!)、数ヶ月で自分の脳の移転不能な部分を機械で置換し体も機械に置き換えることでサイボーグとして病を乗り越える。新しい体は身長3mを超える巨体で、主人公よりよっぽど強そう。ラザロ有人調査計画では十数人の完全武装した調査隊員が次々とデーモンの餌食になるなか彼一人だけ生きて帰還している。
 人類の存続には地獄の開拓とエネルギー採取が不可欠と考えており、ドゥームマリーンにアージャント施設を破壊された後も、主人公から地獄の遺物であるクルーシブルを奪って再起を図ろうとする。なおゲーム開始時で130数歳だそうで、逆算するとおおよそ本作発売時期(西暦2010年代なかごろ)に生まれたことになる。

・オリビア=ピアス博士
 本作の悪役。火星のUAC施設で研究用に捕獲されていたデーモンたちを解き放ち、アージャントタワーをポータルに変えてデーモンたちの火星侵攻を助けた。UAC研究者として火星に来る少し前からデーモン軍団の領主である闇の主に心をとらわれており、自らを永遠に生きる地獄の女帝にしてもらう対価としてデーモンの火星侵攻に協力した。が、闇の主が最も恐れるドゥームスレイヤーの復活は阻止できなかった。最期は契約の対価をデーモン流で受け取ることになり、ドゥームスレイヤーに倒された。

・VEGA
 AI。状況説明担当。特にこれといって役割はないが、まともな人間の出てこない本作の唯一の良心。後悔はたくさんあります。

・UAC
 作中の世界で最も影響力があると言われている企業。火星のアージャント施設運営を行っているほか、さらに遠くの惑星にも前進基地を持っているとの記述もある。コーデックスの記述のほか、アージャント施設の随所でみられるホログラムのプロパガンダ放送が徹底的な科学万能主義と人名軽視の企業体質を物語っている。ティア(職員の階級)が進むにつれ職員向けの資料に地獄に関する記述が増えていき、もはや科学ではなく闇の主の信奉者の集団でしかないことが描かれる(というかその案内文書を書いていたのがピアスだと最期に分かる)。誰が火星まできてこんな企業で働きたいと思うんだと思いそうなものだが、さわりだけ見れば最近の先進ベンチャー企業のような雰囲気である。



 地獄の考察:


・地獄
 本作がただの未来SFでおさまらなかった理由。火星の基地やテラフォーミングなどが登場する世界観において古典的な宗教観に基づく存在である地獄が「科学的に分析」されたうえ「エネルギー源として利用」されるという設定には目眩にも似た感動がある。
 ただし、本作における地獄は各宗教で言われるような悪人の行く場所ではなく、どちらかと言うと未知のエネルギーが循環している別次元の空間という感じである。とはいえどう見ても悪魔そのものの生物が跋扈し、人の絶えた遺跡や平原には人間の骸骨や血肉が山と転がっているビジュアルはどう見ても地獄であるから、作中登場人物も宗教的解釈の地獄として扱っている。
 本作の随所で語られるドゥームスレイヤーの前史や地獄の世界観などは、ゲームのストーリーに関わる内容であるにも関わらず”文献が断片的に引用されるだけ”の説明であり微妙に判然としない。ドキュメントをどっさり用意しても軽快なプレイを妨げるため絞れるだけ絞ったということなのだろう。以下ではゲーム内資料から分かる地獄での出来事をまとめる。

・アージャント=ドヌールをめぐる戦い
 本ゲームの最終ステージであるアージャント・ドヌールは、今は地獄の次元にある巨大な廃墟群だがかつては人間の暮らす街だったと記述されている。デーモンに制圧される以前のドヌールがどの次元に存在したかは劇中でも判然としないが、おおよそ古代地中海や古代イスラエルの都市国家のような形態のコミュニティだったのではないかと思われる。
 この街はデーモンの侵攻をうける以前から強力な闇魔術に関わるテクノロジーを保有しており、その源になっていたのが「エレメンタル・レイス」だった。レイスは強力なエネルギーを放ち続ける怪物(デーモンではない)であり、ドヌールの人々はレイスの恩恵を受けつつレイスを恐れ敬っていた。劇中に何度も幻影として登場する十字軍騎士のようなバケツヘルメットを被った戦士は、デーモンに滅ぼされる以前のドヌールをデーモンとレイスの両方から守護していた戦士司祭「ナイトセンチネル」である。というかナイトセンチネルのスーツも2140年代のテクノロジーとそう変わらないハイテクそうな外見をしているので、魔術とか関係なしにレイスのエネルギーを利用していただけかもしれない。冷酷無比のデーモン軍団をもってしても、レイスとレイスを守護するナイト・センチネルに守られたドヌールを制圧することは適わなかった。
 戦いのさなか、地獄の低位司祭ディーグ・グラブによってナイトセンチネルの一人と交渉がもたれる。戦闘中に行方不明になったセンチネルの息子の帰還と引き換えに、ドヌールを守るレイスのもとへとデーモンたちを案内するという契約だった。これによって難攻不落であったアージャント・ドヌールは陥落し、神殿は破壊されレイスはことごとくデーモンたちの手に渡った。この勝利でデーモンの得たものは大きく、レイスの放つ力を手中に納めたことで彼らの勢力は急伸することになる。また、アージャントの裂け目から漏れ出ていた未知のプラズマの正体もレイスの放つエネルギーであるとされています。
 大勢の仲間を裏切ったセンチネルは報酬として息子を受け取ったが、彼はデーモンの姿に変えられており、またセンチネル自身も裏切りの代償として苦しみを与えられた。(注釈:この辺記述が曖昧なのですが、おそらくピアス博士などと同じように悪魔に約束を反故にされたうえ、拷問でもされたのだと思われます:注釈おわり)

・ドゥームスレイヤーの戦いと封印
 アージャント・ドヌール陥落と同じ地獄の第一期に起こったドゥームスレイヤーによるデーモンとの戦いは、スレイヤーテスタメントとして地獄の各地に碑文が残されている。
 「地獄の炎で二度と這い上がれぬほど魂を汚された男」があるとき立ち上がり、デーモン軍団を殺戮しながら徐々に強くなっていき、徐々に悪魔を追い詰めていった。彼に倒されたデーモンたちは彼をドゥームスレイヤーと呼び恐れた。しかし、最期には地獄の司祭の計略によって神殿ごと封印されたというのがその内容である。
 この一連の戦いは上記のドヌールをめぐる戦いとの前後が明示されていないが、仮にアージャント・ドヌール陥落が先であった場合は「地獄の炎で二度と這い上がれぬほど魂を汚された男」というのがドヌール陥落の原因を作り、悪魔に裏切られたうえ苦しみを与えられたナイトセンチネルである可能性もある。裏切り者に関する記述は「裏切りの代償として苦しみを与えられた彼の報復は迅速かつ無慈悲だった」とあり、またドゥームスレイヤーは悪魔への復讐を始めた当初から「ナイトセンチネルの王冠」を被っていると書かれており、関連性が示されている。これが真実なら謎多きドゥームスレイヤーの経歴が明らかになる。

・タイタン
 スレイヤーテスタメントの碑文に突然登場する形態のよくわからない存在がタイタンである。記述には「しかし地の底から、かつて存在した強大な力を持つ戦士、偉大なる者が立ち上がった。凶暴なタイタンだ。彼は平原を進み、ドゥームスレイヤーと対峙し、荒れ果てた平原で熾烈な戦いを繰り広げた」とある。これに従えばタイタンとは個人名のことで、デーモンかどうかは分からないが地獄の側に立って戦っていることになる。
 一般に、タイタンといえばギリシア神話に登場する古の神ティターンとその子孫一党を指す。全知全能の神ゼウスが実父クロノスと天界の主導権を巡って戦ったティタノマキアでは多くのティターンがクロノスの側につき、敗北し地底深くのタルタロスに幽閉された。彼らは巨人族であり、大きな力を持っていたとされる。
 本作における地獄やデーモン、闇の軍団の取扱を考えれば上記のギリシア神話におけるティターンがそのまま登場しているとは考えにくいが、概ね似たような立場を背負っていると考えるべきである。
 作中には「タイタンの領域」という直球な名前のステージが登場する。このステージの解説には以下のように書かれている。「最期に、諸君が経験する不思議なことに向けて準備をしておくこと。タイタンの亡骸を見れば、勇敢な支持者でも恐怖をおぼえる。運が良ければ、生きたタイタンを見ることができるかもしれない。その場合、すぐに目撃した情報を記録し、安全のためにストレージ機器を偵察ボットに渡すこと。タイタンがまだグレートステップに生息しているかは判明していない(後略)」つまりタイタン族という種族(≠デーモン)が地獄の次元に存在しており、彼らはドヌールの住民のようにデーモンに滅ぼされたかあるいはドゥームスレイヤーに滅ぼされたか分からないが、おそらく絶滅しているだろうということが分かる。特に巨人という部分を強調して考えたい。地獄の領域であるネクロポリスやタイタンの領域に転がっている遺骨や遺体はドゥームスレイヤーと比較してもかなり大きい。その身長はおよそ3mで、敵キャラクターの一つで人造デーモンであるレヴェナントもそれくらいの身長であるのは偶然ではないかもしれない。コーデックスのレヴェナントの項目には、普通の人間にアージャントエネルギーを与え続けると骨格が急成長し3m程度で止まるとある。このあたりの設定についても関連があると思われるが、手元の情報ではこれ以上推察することは難しい。

・その他の遺体
 地獄の領域の大半はおぞましい屍肉や血の池、鎧を身にまとった骸骨が転がっている。プレイヤーが最初に訪れるカディンガー至聖所の神殿にも古戦場を思わせる遺骨群がそこらじゅうに積み上がっており、地獄の雰囲気を醸成している。これらはサイズは人間であり、また持っているのは盾や剣、鎖鎧であるから中世の戦士階級を連想させる遺留品である。あるものは矢で射抜かれ、あるものは剣で串刺しにされるなど思い思いの殺され方をしているが、彼らはどこから来た誰なのだろうか。剣や鎧の意匠は古代から中世(特に中世のヨーロッパ)のものだが、紋章などの由来を示すものはない。唯一目立つのはノルウェー国旗のようなスカンジナビア十字が書き込まれた盾だが、それもどこにでもあるといえばそれまでである。
 あるいは地獄の軍団の中心的場所であるカディンガー至聖所も、元をたどればアージャント・ドヌールのようにどこか別の次元から奪われた聖地なのかもしれない。


おおよそ疑問だったところについて情報を整理してみたが、続編(あると信じる)でもない限りこれ以上情報が出て来るとも思えないので、書くだけ書いて終わりです。


追記:日本語インターネット圏にぜんぜん情報がないのでどないや!と思って描きましたが、英語のwikiがありました…早く言え…
DOOM wiki

プロフィール

複素数

Author:複素数
名前:複素数
新都社で『伯方さんと僕』という漫画を連載しています。http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=12094
pixiv: http://www.pixiv.net/member.php?id=797664

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