予科練平和記念館と特攻作戦/組織にはたらく生存本能

 書く書く詐欺で放ったらかしてた予科練平和記念館に行った旨の記事を書きます。ただし実際に行ってから一ヶ月弱が経過し頭からだいぶ抜けてるので、展示で思った事に加え近年見て頭に燻っていた事を映画などを事例に後半で論じていきたいと思います。


 題字どおり、予科練平和記念館に行ってきました。本来の目的は茨城県は美浦村に友達とナマズ料理を食べに行くことで、県道沿いの川魚料理の店でナマズやワカサギの天ぷらを食べました。


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(ナマズの天ぷら)
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(ワカサギの天ぷら)

最近何かと絶滅が危惧されている鰻様の代用食として一時期ナマズが期待されたことがあったそうですが(油っ気に乏しく身が締まりすぎているので鰻の代わりにはならなかった模様)、私が食しましたナマズは淡白にして身は柔らかく上品な味わいであり、これを何かの”代替”で食べるのはいかがなものかと思いました。むしろナマズの特性を活かして商品化すればいいのに、などと思ったりしました。




 本題の記念館は美浦村への道中に私が見つけたもので、湖畔を走る県道125号からも見える零式艦上戦闘機の実物大レプリカが通行車の目を引いていました。ナマズを食った後の予定も決まっておらず、解散するには早かった私達は特に考えもなく記念館に入る事にしました。

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(国道からもはっきり見える零式艦上戦闘機の模型)

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(近くで見るとその精工さが分かる)

私は過去に靖国神社の境内にある遊就館(事実上の戦争博物館)に行ったことがあり、そこにも零戦の実物大模型がありましたが、展示方法も違うのでインパクトの面から言えばこちらが勝っているなとの感想を懐きました。

 屋外展示はそれだけでなく、建物の反対側には特攻兵器として悪名高い人間魚雷「回天」の実物模型も設置されていました。
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(海に投げ入れる自走爆弾としては大きいが、人が乗るには小さい)
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(水密扉はとても小さく、私と友達は入れそうにありませんでした)


また、敷地は隣接する陸上自衛隊武器学校とも小道でつながっており、その先には陸上自衛隊が誇る機甲戦力が展示されているのが(かろうじて)見えました。行けばわかりますが柵でがっちり区切られています。近くで見たければ基地祭に行きましょうね~
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(戦車、回収車、架橋車など。奥にはM4戦車や旧軍車両の陰も見えた)
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戦車だー!(自走砲です)

 まぁ戦車や何かはオマケで、実際は武器学校敷地内にある特攻作戦従事者の資料館のための道です。ここでは主に特攻作戦に従事したり、作戦中に死亡した航空搭乗員の名簿や手記、生き残った搭乗員の証言や彼らの持ち物を展示していました。撮影禁止だったので写真はありませんが、彼やその遺族に送られた当時の賞状や勲章なども多数展示されており、命がけで国家に奉仕した軍人にたいして当時の日本政府や軍がどのような対応をしていたのか、その雰囲気をうかがい知ることが出来ます。床面積はちょっとした武道館ぐらいですが展示内容が濃く、文書資料主体なので1時間ぐらい居たような気がします。


 そして本題、予科練平和記念館です。
 これは記念館の中で説明されていることですが、歴史好きを自称する私も知らなかったので一応概説しておきますと、予科練というのは正式名を海軍飛行予科練習生と言い、海軍航空隊の教育過程である飛行練習生のさらに前段階として素養ある子供を早期から育成しようという枠組みであります。制度発足の経緯や生徒の身の上から照らせば、現代の専修学校や高等専門学校機構のようなものと言って差し支えないでしょう。私自身(あと同伴した友達も)高等専門学校の出身であり、予科練生たちが最終的にどうなったかを伝える記念館の話はどこか他人事ではない気持ちもありました。

 記念館内は撮影禁止であり、またこれを読んだ人の中であるいはこれから同記念館に行く人もいるかも分かりませんで、展示内容については概略に留めますが、個人的にはたいへん好印象でした。まず施設全体が新しく(平成22年開設だそうです)、また展示も単なる資料の羅列ではなく、予科練生の入隊・生活・訓練など段階に分けて映像や資料、当時の再現などを織り交ぜ退屈さを感じさせずないものでした。当時の雰囲気を理解し、彼らに心情を重ね、その上で事実を理解するという演出意図は巧みです。

 概略だけでもつまらないので実際のエピソードを一つ書きます。展示のなかに当時の予科練生の教室を再現したものがあり、そこにある生徒(14-2期生)の成績グラフが展示されていました。私どもはその成績表の正しい読み方が分からなかったのですが、どうも数字が0から10あるうちの0や1,2のあたりをウロウロしているので、これは落ちこぼれに違いない、当時もこんなやつが居たのだなぁと笑っておりました。また、その成績表は1年あるうちの四半期を少し過ぎたあたりでブッツリ途切れており、「ああ、こいつは落第したな!」など学生気分を思い出しておりました。後になって分かったことですが、14-2期というのは45年入隊の予科練最後の学年であり、成績グラフが途切れていたのはそれが終戦だったから、という事だったのです。
 なぜ14-2期生が最後だと知ったのかと言うと、14-2期生の生き残りの元予科練生が実際に登場したからです。名前は失念しましたがその方曰く、自分より先輩はみんな特攻に駆り出されて行ってしまったそうです(その人も終戦間際は浜辺で地雷をかついで戦車に体当たりする訓練をしていたそうで、広義の特攻に駆り出される予定になっていたと)。つまり14-1期より上はみんな何らかの形で出撃させられているという事です。さっきまで落第生に心情をダブらせて笑っていた自分は、背筋が凍る思いでした。

 ここで一つ私に勘違いがあり、かつ皆さんも同じように思っているかもしれないので書いておきます。特攻兵器といえば何を連想するでしょう。爆弾を背負った戦闘機、人間魚雷回天、ジェット戦闘機桜花など色々ありましょうが、予科練=飛行予科練習生の学校であるから特攻といえば飛行機に乗せられるんだろうと、少なくとも私はそう思っておりました。しかし実際はというと、海軍が開発したありとあらゆる特攻兵器に予科練生は乗せられていたそうです。それらはその大半は空を飛びません。
 上述の回天がまさにそうです。何で航空搭乗の訓練をやってきて潜水艦に乗らないかんのや!と私なら憤慨しそうですが、他にも機首に爆薬をつんだ木製モーターボートの震洋(元予科練生の方曰くボロ船)や、即席の欠陥潜水服と爆薬つき錫杖を持って海底で上陸艇を待つ伏竜などの任務も予科練生にあてがわれました。かくいう元予科練生の方も地雷持って玉砕させられる予定になっていた訳で、要するに何でも良かったんでしょう。
 記念館の展示コース後半は主に特攻作戦に従事した予科練生を悼むものであり、組織的に展開された特攻戦術の恐ろしさについて直接触れているものではありませんが、展示の端々には当時の兵器の模型などがあり、それらが当時の軍組織の狂気を今に残し放ち続けているように感じられました。

 展示コースの最後にはでっかい戦艦大和の模型が展示されています。これも後になって気付いたことですが、戦艦大和が最後に従事した作戦は通称沖縄特攻、大日本帝国海軍が誇る世界最大の決戦兵器もその最後は特攻で閉じたのでした。




追記では展示から感じたことについて少し書きます。

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なぜアニメを見ることを躊躇するのか =終焉するという物語の本質と最終的な喪失=

なぜアニメを見ることを躊躇するのか =終焉するという物語の本質と最終的な喪失=



みなさん、アニメ見てますか?

 お久しぶりです。複素数です。実は私はアニメをあまり見ません。
これは何故か。自分でも正直よく分からなかったのですが、2017年に入って久しぶりにアニメを立て続けに完走してみて何となく状況が見えたので、整理もかねて文章を綴っていこうとおもいます。そういう事情ですので以下の文章は全く自省に関するもので、誰かに何かを訴えかける意図があるものではありません。似たような感覚を抱いているが理由は分からず、わだかまりを感じている人は軽く読んでみてもいいかもしれませんが、あくまで自分用です(このブログはもうずっとこういう使い方です)。


  <なぜ見ないのか>
 見ないというのは若干語弊があり、より正確に表現すると見れないのです。アニメは好きなので(学生時代までは夜更かしして超見てました)色々見たいなーという作品を見つけてくるんですが、見ようとすると心理的抵抗が生じ、視聴しなくなります。私はAmazonプライム会員なのでAmazonプライムビデオでいろんなアニメを好き放題見れるのですが、面白そうな作品を見つけてもあとで見るリストに投げ入れてそれっきり、1話を見ようと思っても最初の数分で「あーあーあー」と、いたたまれなくなりビュアーを閉じてしまったり。この際、面白いかどうかは関係ありません。「あーもう、これ絶対好き。絶対ハマる。あとで見よ(もう見ない)」みたいな事のほうが多いです(視聴前に雰囲気や概説で好みかどうか嗅ぎ分けているから好みじゃないアニメにぶち当たらない)。

 ところがこれには例外がありまして、既に見たことあるアニメにはこの抵抗感がないのであります。現に作業用動画(BGVというらしい)として手元にある攻殻機動隊や天保異聞妖奇士などな何十回と再生して見ています。イノセンスに至ってはこの5,6年で40回以上見ていますから、アニメそのものを見れないわけではありません。上でAmazonビデオの話が出ましたが、以前ガンダムシリーズが一斉に無料開放された時はZや∀などの4クール相当作品(どちらも以前に見た)はバンバン見ていました。バンダイだけにw

 ここまでの文章で判断するなら、「お前は新しい作品に手を出すのが億劫なだけだろう」という事になるでしょう。実際それは間違いではないのでしょうが、類似の事例を見ることでもう少し深く踏み込んでみましょう。


  <メディア特性の違い>
 映画を例にとりましょう。私は映画が好きで、上記のAmazonプライムビデオサービスに加入する前から週1,2本のペースで見ていました。加入してからは多い週で5本ぐらい見ていることもあります。えっ?映画は見れるの!?と疑問に思うでしょう。はじめて見る映画も普通に見れます(ただし同じ映画を聞き流しで何度も見ることもします。最近は2015年版日本のいちばん長い日を繰り返し見てます)。
ここでアニメと映画の違いを明確にしておきましょう。ここで言う映画はアニメ映画も含みますが、要するところ1話30分の回を数話~50の枠内で繰り返すのがアニメ(連続ドラマ)で、60~90分程度で完結する映像作品が映画です。
映画は90分なら90分で起承転結が全てついて完結するのに対して、例えば1クール13話アニメなら6時間半(本編はその半分程度)というふうに、そもそも映像の時間が全然違うわけですが、さらに踏み込んで考えてください。映画は一回で全部見ますが、アニメはどうでしょう?基本的に週一回で見るものです。私の場合完結済みのシリーズをネット配信で見る事が多いのでそれは必ずしも当てはまりませんが、リアルタイムで見る場合はこの制約を逃れることはできないのです。ではこの差が何の意味を持つのでしょうか。


  <時間尺度の差と精神への影響度合い>
 物語の基本は起承転結であります。何か起こって、それが終わるまでを描くのが物語です。この世の生まれし時から果てる時まで続くかのような長寿シリーズであっても、この大原則から逃れる事はできず、いつかは終焉を迎える運命にあります。この「初めから終わりまでの時間」が、例えば60分とかであった場合、人間という生き物の時間尺度からすれば、ほぼほぼ息つく暇程度のものであり、まばたきをしている間に終わったといえるようなものなのです。つまり何がいいたいかというと、常識的な映画の長さでは起承転結の過程に没入することはあっても、映像が絶えず流れる作中に視聴者自身の思考や感情を差し挟む余裕はなく、終始製作者の意図した感情を”受け続けながら”物語の終焉に至るのです。ところが、間に1週間のインターバルが挟まるアニメはどうでしょう。視聴者は物語をぶつ切りに(それも客引きを意図した気になりどころの境目で)され取り残されます。物語側から見れば30分の放送の後に6日と23.5時間のインターバルがあることになり、観客はその間否が応で物語について考えさせられます。この「考える」こそ物語への没入だと考えます。映画の演出家が言う没入など、所詮セリフを聞き主役を目で追いシーンごとに流れる音楽に応じて感動したり興奮したりしろってなもんですが、この6日と23.5時間のインターバルは違います。観客は観客の時間尺度(現実)で物語を考え、物語の延長の中にいながら現実で肉体を以て思考し行動するのです。ちょっとややこしいですね?

 男女関係で考えましょう。作品の放送上映時間をお互いに会える時間、お互いの感情を作品への没入と考えてください。アニメ(連続ドラマ)は1週間に1回、30分だけ会えるカップルです。彼らが会える時間は本当に僅かですが、来週も会えることは少なくとも確実なようです。彼らは会えない日もお互いのことを考えるでしょう。次会ったらどこで何をしよう、何を話そう、何て言ってあげよう…。残りの時間全てという訳ではないかもしれませんが、きっと二人は6日と23.5時間のうち何割かは相手の事を考えて過ごすはずです。実際に顔を突き合わせている時間は短くとも、彼らの間にあるものは、これは美しい愛でしょう。かたや映画ですが、これは対照的に愛と呼べるかどうかは怪しいものでしょう。なぜなら上記にあるように映画と観客はその一夜がどんなに情熱的で激しいものであっても、一過性かつその場限りの関係だからです。私は同じ映画を何度も見ると言いましたが、映画が見るたびに見せるのは毎回同じ顔、どんなに愛して通いつめても最初に出会った時以上に微笑んでくれることはありえませんし、むしろ最初に出会ったときの輝きは徐々に色あせていくのが普通です。そういう意味ではこの例えで言えば一夜限りのピンクな商売の関係というのが適切でしょうか。

 変な例えを持ち出したせいでよけいこじれた感じもありますが、感覚的には概ね伝わったかと思います。要するにアニメ・連続ドラマと映画ではハマり方が異なり、没入度も変わってくるのです。いえ、没入度という言葉にはやや語弊があるので、ここは浸透度という表現を使いましょう。人間の心理は関数です。関数とは即ち入力に対して内部処理があり、出力をもつものです。人間という関数は入力に対する出力に遅延が存在します。一つの作品を見て感動を得ても、それが骨身に馴染んでくるのは実に数日後からなのです。これが「どんなに感動した映画でも1週間もすれば忘れている」であり「つまんねーアニメでも2クールずっと追ってたら何かエンディングで感動したし後々まで記憶に残る」である所以なのです。これは映画の価値を貶める意味ではありません。人生を賭して追いかける夢と、一晩に見る夢は文字は同じでも意味は異なりますし、それぞれがそれぞれの代わりにならないという点ではやはり双方が唯一無二の価値なのです。その上で申しますと、人間は60年ぐらい生きるので、人生という尺度により近いメディアはアニメだと、そうなるのです。月曜日に見初めて水曜日に冷める恋もあるぐらいですから、心を掴まれている限り放映クール中ずっと夢中でいさせてくれるアニメはまさに理想的な恋人なのです(?)。アニメが恋人、みたいな名言系コピペが昔ありましたが、これは茶化して言っているのではありません。


<幸福の終わった後には幸福と同じ重さの喪失感が残る>
 さて、上行では映画とアニメの心への浸透度合いの違いについて明らかにしましたが、ここでエンディング後の世界について考えてみましょう。最初に述べましたとおり物語は終わります。終わった後は物語の世界の時間は止まり、あるいは消えることで始まるより以前の世界に回帰します。観測者=視聴者について考えるとして、物語を見ていないという意味においてはアニメのインターバルと物理状態は同じですが、その性質は全く異なります。即ち、何週間待っても次回は来ないのです(続編はあるかもしれないがここでは考えない)。前項の恋人の例えに則ってみれば、これは破局であります。この終焉の到来は物語の定義に基づく普遍的特性で、映画でもアニメでも同じですが、前項にあるようにアニメのほうが浸透度が高いのであります。1年か半期か四半期か、とにかくそれだけ長く愛聴していたのだからこれは言ってみれば人生の一部のようなもの、それが急に消えてしまったら、その穴は急には埋まらないのであります。ドラッグや抗うつ剤などの快感作用を伴う薬には、薬の効果が消える過程で虚脱症状が出るものがあります。あるいは定年退職や子供の独立で燃え尽きた中年世帯と例えるのもいいでしょうが、項題のとおり人間は幸福の過ぎ去った後に残る虚無に、虚無は本来何の印象も与えないものであるにも関わらず不幸を感じるのです。その不幸の大きさは、浸透度に比例し、即ちアニメのほうが多い形になります。


 <終演後の世界のポスト物語を見つめる>
 私が忌避していたものの正体はこの喪失感だったのです。これを読んで笑う人も居るでしょう。しかし考え方次第です。より一般化した表現を使えば「失うことが怖くて手にすることをためらう」というカッコイイ響きですし、これを身近な例で見れば死別が怖くてペットが飼えない人などで、これは笑い事ではないというのが理解していただけるかと思います。アニメ見る度に毎回ペットロス症候群になるとしたらどうです?私は繊細なので結構なります。例えばARIAのアニメはリアルタイム視聴じゃなかったのに最終話見終わった時点で虚脱感に襲われ数日何もできなかったし、ToHeart2の某会長ルートクリアした後は熱が出て一週間ぐらい誰とも話したくなかったし、誰にでもそういう思い出あるよね?

 私の場合アニメ見て創作意欲が充填されるタイプなので見なければいいじゃんで終わらすとかなり厳しい感じで、むしろ現状がその厳しい感じになっているので現状打開の願も込めてその打開策を提言して論説を閉じたいと思います。ここ数年創作意欲は底値も底値でほぼ0でございまして、実際原稿年産2,3pぐらいのペースです。でもね、今年に入ってもう2本アニメ見てるんですよ。3月からですね。まずけものフレンズ見ました。流行ってたからね。いやぁ面白かった。続編も見ますねきっと。あとAmazonビデオで1期と2期が無料公開されてたこのすばも見ました。あれ面白いっすねいやマジで。ファンタジーは良いですよねぇ俺も描きたい。同じ異世界ものでもあの何度も死ぬやつ名前思い出せないけどあれ途中まで見て何かいいやってんで投げ出して以降またアニメと疎遠になってましたが、やっぱり面白いアニメは面白いですね(哲学)。で今順調に創作圧が高まってきてるんでこのボルテージを保ったまま次々面白いアニメを見ていければきっと自分の創作活動もやっていけるんじゃないかと、テキトウですがそんな感じで閉じです!

あけましておめでとうございます/VR体験行ってきました/VRを題材にした漫画

あけましておめでとうございます。こちらは今2017年です。


去年末、新都社の不良社員たちと人権補充をした折、VR体験会に参加しました。
参加したのはドスパラ秋葉原本店にあるVIVEのブースで、HTCのゴーグル一式を体験できました。

ドスパラ秋葉原店
キャプチャdos


まず、私自身勘違いしていたんですがVRというのはゴーグルのみを指すものではありません。
(PS4のオプション部品であるPSVRを除く)VRは、基本的に以下の部品で構成されます。

・VRゴーグル
      -3D映像を見せるもの。左右の目の先に小さなディスプレイが1つずついている。
・コントローラー
      -ゲーム内で手やカーソルの役割をするもの。Wiiのコントローラーを両手で持つようなイメージ。
・パソコン
      -映像処理をする。現状のVR環境はいずれも高度なグラフィック処理能力が必要とされる。
・モーションキャプチャーカメラ
      -VRゴーグル及びコントローラーの動きを検出する。必須。


図:VR環境の構成(出典:NECソリューションイノベータ)
vr_ph02.png

 一応補足しておくとモーションキャプチャーカメラというのは人間の体や四肢の動きをコンピューターに取り込む装置です。コンピューター内でVRゴーグルの位置や向きをリアルタイムで管理することで、人間が首を動かした時はそのぶんVRゴーグルに出力する映像を動かす、という処理を行います。
 元は3DCG映像内で人間のキャラクターを実際の人間と同じ動きで動かすための技術でしたが、Microsoft社のKinectなどによりより軽便に利用できるようになっています。



利用所感:

1.高い没入感
 デモプレイで遊んだゲームはいずれも数日で作った、または一昔前のゲーセンに置かれてそうな安っぽいもの揃いでしたが、視界を完全に画面が覆い、首の動きに連動して画面が動く没入感は圧倒的でした。私が遊んだのは
①ジェダイの騎士になって飛んでくるブラスターのビームを跳ね返す
②ジェットコースターに乗る
③ゾンビを撃つ
の3つでしたが、いずれも自分がどこにいるのか忘れてしまうほどでした。特筆すべきはジェットコースターで、実際はただ椅子に座っていただけなのに、画面内で急降下したり左右に揺れると体も合わせて傾いてしまうのです。さいごには叫んでいました。VRの視覚特性を生かすならああいったアトラクション要素の強い体験ゲームが理想的なのかもしれません。逆に、既存のコンシューマ/PCゲーム(マウスとキーボードないしパッドで遊ぶ)とVRがリンクする機会は思ったより少ないかもしれない、とも感じました。ただ、次世代ゲーム機の皮をかぶった体操器具と言われていたWiiも最終的には普通のゲームハードっぽいソフトラインナップになっていたので、前提ハードとしてVRが普及するのはおおいにアリと思います。


2.制約
 ゲーム体験としては最高でしたが、体験に際してあらゆる方向に制約があると感じました。

2.1 動きの制約
 上述のようにVRではユーザーの位置座標の検出にモーションキャプチャーカメラを利用しています。私達が体験した環境では、2つのカメラが対角線上に壁の高い位置にセットされており、ユーザーを見下ろす構造になっていました。即ち、このカメラの写角内が実質上のプレイの範囲内になります。これはカメラのセット距離に依存するので、上限はあれど部屋が広ければそれなりに広く遊べるでしょう。問題は最低限遊べるだけの広い空間を自宅に確保できるかで、誰もが用意できるかといえば難しいでしょう。
もう一つ動きを制約していたものがあります。実は体験したVRゴーグルは有線式で、装置の後ろから出たケーブルがパソコンと直につながっていました。デモでは天井にケーブルを吊り下げる中継タグをつけて、それをカーテンレールで可動させていたのでケーブルが突っ張って動けないという場面はありませんでしたが、それでも遊びながらぐるぐる回っているうちにケーブルが体に巻き付くような場面は見受けられました。年内にも無線式モデルが出るだろうそうですが、完全に自由なプレイはまだ先だなと感じました。

2.2 導入の制約
私の部屋は家具模様をデフラグしてがんばれば8畳ぶんぐらいの面積が確保できるので、値段次第では導入もかくや、と体験した直後は考えていたんですが、値段と導入ハードルを考えて冷静さを取り戻しました。私が体験したHTC VIVEを例に考えましょう。最低限構成ではなく最低限度快適構成で、デモと同じ環境を作るとして、

HTC VIVE(ゴーグル本体)                   - \107,784
ベースステーション2基(モーションキャプチャーカメラ)  - \34,000
コントローラー2基                       -  \32,000
3-in-1ケーブル(長いUSBケーブル)             - \4,900
リンクボックス(USBやHDMIとゴーグルを中継) - \3,700

この時点で小計は                       - \18,2384
にもなります。また、デモ中に補助役のお姉さんにチラッと聞いたところ、デモ用のマシンのビデオカードはGeForceのGTX1060だとか。現状の私のPCは1000番代には遠く及ばないのでこれも購入となります。ケチっても仕方ないのでグラフィックメモリは6GBのものにすると、最安でも¥28,000台(価格コム調べ)になります。上記の小計に\28,000を上乗せすると\210,384、20万超えます。いやぁ~キツイっすわw
 
 これはVRを取り巻く業界全体の傾向なんだそうですが、技術的に模索状態な現状、廉価な一般市場向け製品を出すよりは高価でハイエンドなモデルを次々出してゲーム機として確かな手応えがつかめるまでは開発を続けていく、という状態だとか。確かに遊んでみた感じ、今すぐ現状のゲームハードたちのお株を奪えるかといえば微妙な感じでした(PSVRという例外がありますが)。逆にPSVR相当の家庭用ゲームと地続きのVRデバイスは各社計画しているところかと思いますので、17年中には出てくるのかなと予想します。そういう意味では、ただVRで遊びたいと考えている人はパソコンで動かすVRシステムを待つぐらいなら家庭用ゲーム機を買ったほうがいいと考えます。

これを読んでいるなかに、まだVRには触れたことがないという方が居ましたら、週末にお近くの体験ブースで体験してくることをお勧めします。感動しますよ。




ところでみなさん花沢健吾先生の『ルサンチマン』という漫画はご存知でしょうか。
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プロセッサが高性能化しVRが広く普及した近未来の日本で、女性に縁がなくこのままでは一生独身になると危機感を抱いた主人公が友人の勧めでVR装置と専用のギャルゲーを購入するところから物語は始まります。冒頭のあらすじだけ見るとSAOか?と思いますが、SAOが意識が飛んじゃうタイプのSFちっくな仮想現実世界なのに対し、ルサンチマンの仮想現実は極めて現実的で、ほぼ上で紹介した現在の機器構成そのままです(より”高度”なオプションパーツが出てくるぐらい)。ストーリーはWikipediaにあるので読んで下さい。すごく面白いですよ。
 同作品が連載されていた頃はオンラインゲームにのめり込む人々が社会問題になっていた頃で、同作品もそういった背景を取り入れているものでありますが、VRが現実のものになった現在に読み直してみると、また違った印象をもつかもしれません。

今年最後の紅葉

写真撮りました。
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 もうぼちぼち紅葉も葉が落ちて枯れ始めたので慌てて撮ったのですが、手ブレ・ピンぼけ・光量不足という写真悪要素3つをコンプリートした大失敗写真になってしまいました。いっぱい撮ったんで何枚かいいのあるだろ、と甘いこと考えてたんですが全部こんな感じでした。
 弁明させて欲しいんですが、写真撮ったのが早朝の日の出前で、現場は写真で映ってるよりも暗かったんです。ISO最大にしてシャッターもものすごく重くなってたので、しっかりホールドしてたはずがこのザマという訳です。三脚とか使えば良かったんでしょうが、そんな写真ガチ勢じゃないので…

最もマシだった一枚を補正して見れるようにしたものDSC_079220.jpg

何年か前に行った草津での夜間撮影と体感では同じぐらい暗かったのに、こちらだけ写りがクソ悪いのは不思議です。証明光量によるところが大きいのかな?
(参考)草津写真
DSC_0471.jpg
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カメラは趣味ではなく作画資料収集用と割り切っているのですが、なまじ一眼はほぼゼロオプションの裸状態でも重くかさばるのであんまり持ち歩かないもんでさほど写真が集まらないというのがつらいところです。以上です。

ジャイロ効果VS手首 

こんにちは。今回はほぼ日記です。


1.パワーボール買いました
パワーボールとは?

パワーボール(英: powerball)は、ジャイロの原理を応用したトレーニング器具。使用中に蜂の羽音のようなうなりを上げることからダイナビーとも呼ばれる。
野球ボールほどの大きさの球形プラスチックケースに、重量のあるボールが内蔵されている。ボールの中心には金属の軸が通っており、これを中心にボールが回転する。軸はプラスチックケース内部の赤道面を自由に動くようになっている。ボールには糸を巻き付けるための溝が彫られている。プラスチックケースの一部からボールが露出しており、露出部分から前述の溝に沿って糸を巻き付け、それを高速で引き抜くことにより回転をあたえる。


イメージ

 つまり手首や握力を鍛える筋トレグッズです。肘より先の筋肉が画力に比例するという持論を証明すべく購入し、ウィンウィン回って面白いので四六時中回してました。
 最初は効果がありました。絵を描く前にウォームアップで軽く10分ほど回すと手の筋肉が温まり、線を正確に引くのが楽になるなどしました。しかし机に向かってる時間でペンを持っていない間はほぼ全てこれを回す、といった無茶な使い方してたせいか、見事に右手首を痛めてしまいました。ごく軽度でそれほど深刻ではないですが、何事もやりすぎはいけないという事でしょう。
 余談ですがどうも使い方が悪いらしく、パワーボール側も買って数日しか経ってないのにプラスチックの軸が削れてボール内に破片が溜まったりしている具合です。Amazonで一番安いやつだったのでこんなもんかって気もしますが、どういう回し方が正しいんだろう。


2.紅星白酒買いました
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最高にレッドチャイニーズっぽくてカッコイイボトルデザイン
以前ザンギー(銀座)の北京ダック専門店でコース料理のドリンクとして出てきた分君酒という高級酒の味が忘れられなくて、同じカテゴリの大衆酒である紅星に手を出しました。分君は一袋100円とかで売ってそうな安い飴を連想させる極端に強いフルーツフレーバーが特徴でしたが、紅星にはそんな小洒落たものはなく、たぶん原料のとうもろこしと熟成過程由来なんだろう『沢庵』のような香りが広がるだけです。しかし重要なのは度数。ふだん40度ぐらいのお酒を舐めるように飲んである意味慣れてる自分でも『カーッ!』ってなるような強いアルコール(56%)は、分君のそれと寸分と違わないパンチでした。これから冬ですから、気付けや寒さ飛ばしにあおるにはもってこいですね。ちなみにAmazonだと輸入酒なのに800円弱というすごい値段で売っているので、気軽に一瓶買って棚に入れておくのもいいかもしれないですね。
特制 紅星  二鍋頭酒(アルコードシュ) 56度 500ml入り


3.平田篤胤の世界(ペリカン社)買いました
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平田篤胤という御仁をご存知でしょうか?江戸時代の国学者で、古事記研究で有名な本居宣長の(一応の)弟子にして日本神話研究や神道研究の界隈では名のしれた山師学者です。氏はその有り余る想像力と行動力で、自ら師と仰いだ宣長の築いた資料研究のスタイルを遥かに飛び越え、神話解釈や現世の構造について多くの著書を残し幕末から戦前の皇国史観に至るまで大きな影響を与えました。と自分が知っているのはこの程度なのでこの辺にしておきます。
 本書を買うにあたり篤胤先生自ら執筆した『仙境異聞(仙術を修めた少年と篤胤先生の対談形式により神道的世界観を明らかにしていく実録取材本)』という本の現代訳とどっちを取るか悩みましたが、自分のような素人には一次資料を買うより二次的に俯瞰した本がふさわしいと思いこちらを選びました。


絵も描きました

プロフィール

複素数

Author:複素数
名前:複素数
新都社で『伯方さんと僕』という漫画を連載しています。http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=12094
pixiv: http://www.pixiv.net/member.php?id=797664

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