映画『復活の日』を視聴

 映画『復活の日』を視聴

 どうも、複素数です。皆さんお久しぶりです。
 前回より紆余曲折ありましたが、皆々様のお慈悲に日々を生かされております。


 さて主題ですが、復活の日(映画)は1980年公開の日本映画です。制作は角川春樹事務所とあります。
 動乱や野性の証明といった同時期の映画と同じく、豪華なキャストと壮大な予算で制作された大作映画といった趣を感じました。65年公開の原作小説があるようですが、そちらは未読なので映画のみの感想とします。
 まずあらすじに軽く触れましょう。Wikipediaを引用します

生物兵器に使うため弱毒化する過程で出来た、猛毒の新型ウイルス MM-88がスパイによって持ち出される。スパイの乗った航空機は吹雪のため前方視界不良に陥り、岩山に激突し墜落した。やがて春が訪れ気温が上昇すると「MM-88」は増殖を始め、全世界に蔓延した。夏には人類を含む脊椎動物の殆どが絶滅し、僅かに生き残ったのは極寒(北半球とは季節が正反対で真冬)の南極大陸に滞在していた各国の観測隊員約1万人[註 2]と、海中を航行していて感染を免れた「ネーレイド」号のマクラウド艦長たちと「T-232」号のゾルヴィッチ艦長たち原子力潜水艦乗組員[註 3]だけであった。アメリカ合衆国の最後の大統領リチャードソンは「その聖域を離れてはいけない、外部の人間を入れてはならない、一致協力して生き延びる努力をして欲しい」と各国の南極基地に伝えて息絶えた。


 上記の概要は概ね映画の前半部分に該当します。あえて型にはめて評価するならば本作(の前半)はウィルスパニックと言って差し支えないでしょう。 
 最初に総評を述べてしましますが、世間でのこの映画の評価とほぼ同じく、映像としては上々と思います。オープニングで朝日(夕日かもしれない)をバックに南極の氷山の間を抜けて航行する潜水艦のシーンや、ウィルスに侵され崩壊していく日本や他の国の描写は確かに見入るものがあります。PTT無線の使い方が分からないためにこちらの声が届かない、などの気の利いたトリックにも心惹かれます。総工程40日にも及ぶ南極ロケ、特に昭和基地や諸外国の南極観測基地のシーンが多かったのも評価できます。やっぱ金はこうやって使わねえとな!しかし、これは時代の違いから来る感性の違いであるところが大きいのでしょうが、如何せん話が全然面白くなかった。これが日本SFの傑作だって、本気で言っているのかい?

 映画は82年と84年(1984に合わせた?)、そしてその数年後という3つタイムゾーンを順に追って語られます。82年では上記のウィルスが世界中に広がり人類が滅亡する過程が語られますが、84年ではパンデミックを逃れた各国の南極観測隊が協力して生きていく部分が描かれています。これはぜひレンタルビデオ店で映画を借りるかAmazonプライム会員になってプライムビデオで無料配信されているのを見て自分で確かめて欲しいんですが、話が全然パッとしないんです。世界中の人類が死に絶えて、雪と氷に閉ざされたこの極地に残されたのは何とたったの…1、2、3、…863人!南極も広い大陸ですから、実際の南極観測隊の駐在人数を合算するとそこら辺が妥当なんでしょうが、実に締りがない。これが10人ぐらいならまだ最後の人類って意味で緊張感があるんですが、863人です。そこに潜水艦一隻分の乗組員とかも加わるので、実際はすごい大所帯です。各国代表が1人ずつ集まって作った自治組織も部屋いっぱいに人が詰まって学級会議状態です(物語性よりもリアリティを優先する傾向は他の設定にも反映されています)。これは微妙なラインの話なのであくまで個人的な意見ですが、その自治組織での中心議題が男女関係に関する事、というのも(?)という印象でした。概説すると『人間を増やしていかなきゃいけないので子供をたくさんつくるという使命を女性が追う』といった感じの議論です。男女比が100:1ぐらいなので従来の一夫一妻がでは厳しく、あぶれた男どもによる暴行なども危険なので先に制度から作ってしまおうという意味で理屈は通っているんですが、それ以前に『食料や燃料は均等配分して2年分だ』という話がなされており、かつ南極での自活は厳しいであろう状況を考えれば食料などの物資をどうするかが先に論じられるべきではないか、と思うわけであります。もちろん創作物である以上どこまでも厳密に理詰めで組み立てる訳に行かないことは当然分かりますが、上記のように物語性よりも事実を優先しているのならついでに合理性の肩も持ってくれてもいいのではないかと感じられました。
 さらに、このポストアポカリプスな生活もすぐに危機を迎える事になります。若き草刈正雄扮する主人公が趣味で(??)行っていた地震予知研究によると、アメリカ東海岸で数年前に行こなった海底油田の試掘で掘った油井の影響で地殻に歪みが生じ、破滅的な地震が一ヶ月以内に起こることが判明(???)。この地震による影響は南極大陸には及ばないものの、地震の衝撃を核攻撃と勘違いした米国の核攻撃全自動報復システムがソ連へ核ミサイルを発射し、ソ連側の自動報復システムも即時可動するという。悪いことにソ連のミサイルは南極をも標的にしており、地震が起こる前にワシントンに行き自動報復システムを切ってこないと南極が核ミサイルにより消滅してしまう(!?)。せっかくいい感じの話が転がっていたのに、ここに来てランキングが奮わない少年漫画みたいな急ハンドルを切る意味が分からない。そんなに人類滅亡エンドが好きなのか!?(私は滅亡エンド好きです)私個人の観念ですが、基本的にどんな映画でも物語でも、長編で多章構成でないなら一作に一案以上の展開を突っ込むのは良くないと考えます。これを一案一作の原則と言いますが(他の創作に関する原則や金言が絶対的でないのと同様に例外は多くあります)、その意味において本作は過積載、または後半が蛇足だと言えます。また、核ミサイルの発射を防いで生き残った863人で朝日をバックに抱き合う!みたいな展開ならまだしも、最終的に主人公はミサイルの発射阻止に失敗します。南極基地は滅ぶ訳ですが、ワシントンに居たはずの主人公は生き残っています。また、主人公をワシントンに送り届けた潜水艦はその後どうなったのか、多分海上に居たはずですから生き残ってても不思議はない訳ですが、これについての言及はありません。核の炎にもめげずに生き残った主人公がどうするかというと、身一つでアメリカ大陸を縦断、ワシントンから徒歩でアルゼンチン南岸と思しき辺りまで到達します。そこにはミサイルの到達前に南極を脱出していた女性と子どもたちが!主人公を見た彼らは駆け寄り、抱き合って映画は終わります。
パッとしない。実に。結局何が語りたかったのか。主人公や生き残りの女性たちが出会ったところで明るく締めくくられているものの、生き残った人々も多くが死に、食料が不足するなど人類の展望は非常に暗いものとして描かれています。ちっともハッピーではないが、全滅や永遠の孤独といったネガティブな終焉でもない。このへんがすごい消化不良でした。
また、生き残った人々が南極から出られなかった最大の理由であるウィルスについても、終盤ワクチンらしきものが出て、一応の効果を発揮したと描写されているわけですが、数十人まで減ってしまった生存者にはもはや大した意味もなく、効果を疑うような声もあり、よく練られた設定がここで完全に死んでいるの気になるものでした。それまで重要だったことが一つの重大事件によって意味をなさなくなってしまった無常だと解釈することもできますが、画面上では必ずしもそういった表現ではなく、どこもかしこもしっくり来ない終わり方になってしまったなあ、と。
 散々コケ落としましたが、最近の角川映画なんかと比べるとスケール感も大きく、平成日本映画特有の安っぽさもない”豪華な映画”であることは間違いないので、一度は見てみるといいかと思います。劇中で度々使用される主題歌は特に秀逸で、本作の世界が滅亡していく過程に立ち会った人々の心情を有効に補強しています。

余談ですが、草刈正雄って若い頃と今とで顔全然違うんですね。最初誰かと思いましたよ。
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複素数

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新都社で『伯方さんと僕』という漫画を連載しています。http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=12094
pixiv: http://www.pixiv.net/member.php?id=797664

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