なぜアニメを見ることを躊躇するのか =終焉するという物語の本質と最終的な喪失=

なぜアニメを見ることを躊躇するのか =終焉するという物語の本質と最終的な喪失=



みなさん、アニメ見てますか?

 お久しぶりです。複素数です。実は私はアニメをあまり見ません。
これは何故か。自分でも正直よく分からなかったのですが、2017年に入って久しぶりにアニメを立て続けに完走してみて何となく状況が見えたので、整理もかねて文章を綴っていこうとおもいます。そういう事情ですので以下の文章は全く自省に関するもので、誰かに何かを訴えかける意図があるものではありません。似たような感覚を抱いているが理由は分からず、わだかまりを感じている人は軽く読んでみてもいいかもしれませんが、あくまで自分用です(このブログはもうずっとこういう使い方です)。


  <なぜ見ないのか>
 見ないというのは若干語弊があり、より正確に表現すると見れないのです。アニメは好きなので(学生時代までは夜更かしして超見てました)色々見たいなーという作品を見つけてくるんですが、見ようとすると心理的抵抗が生じ、視聴しなくなります。私はAmazonプライム会員なのでAmazonプライムビデオでいろんなアニメを好き放題見れるのですが、面白そうな作品を見つけてもあとで見るリストに投げ入れてそれっきり、1話を見ようと思っても最初の数分で「あーあーあー」と、いたたまれなくなりビュアーを閉じてしまったり。この際、面白いかどうかは関係ありません。「あーもう、これ絶対好き。絶対ハマる。あとで見よ(もう見ない)」みたいな事のほうが多いです(視聴前に雰囲気や概説で好みかどうか嗅ぎ分けているから好みじゃないアニメにぶち当たらない)。

 ところがこれには例外がありまして、既に見たことあるアニメにはこの抵抗感がないのであります。現に作業用動画(BGVというらしい)として手元にある攻殻機動隊や天保異聞妖奇士などな何十回と再生して見ています。イノセンスに至ってはこの5,6年で40回以上見ていますから、アニメそのものを見れないわけではありません。上でAmazonビデオの話が出ましたが、以前ガンダムシリーズが一斉に無料開放された時はZや∀などの4クール相当作品(どちらも以前に見た)はバンバン見ていました。バンダイだけにw

 ここまでの文章で判断するなら、「お前は新しい作品に手を出すのが億劫なだけだろう」という事になるでしょう。実際それは間違いではないのでしょうが、類似の事例を見ることでもう少し深く踏み込んでみましょう。


  <メディア特性の違い>
 映画を例にとりましょう。私は映画が好きで、上記のAmazonプライムビデオサービスに加入する前から週1,2本のペースで見ていました。加入してからは多い週で5本ぐらい見ていることもあります。えっ?映画は見れるの!?と疑問に思うでしょう。はじめて見る映画も普通に見れます(ただし同じ映画を聞き流しで何度も見ることもします。最近は2015年版日本のいちばん長い日を繰り返し見てます)。
ここでアニメと映画の違いを明確にしておきましょう。ここで言う映画はアニメ映画も含みますが、要するところ1話30分の回を数話~50の枠内で繰り返すのがアニメ(連続ドラマ)で、60~90分程度で完結する映像作品が映画です。
映画は90分なら90分で起承転結が全てついて完結するのに対して、例えば1クール13話アニメなら6時間半(本編はその半分程度)というふうに、そもそも映像の時間が全然違うわけですが、さらに踏み込んで考えてください。映画は一回で全部見ますが、アニメはどうでしょう?基本的に週一回で見るものです。私の場合完結済みのシリーズをネット配信で見る事が多いのでそれは必ずしも当てはまりませんが、リアルタイムで見る場合はこの制約を逃れることはできないのです。ではこの差が何の意味を持つのでしょうか。


  <時間尺度の差と精神への影響度合い>
 物語の基本は起承転結であります。何か起こって、それが終わるまでを描くのが物語です。この世の生まれし時から果てる時まで続くかのような長寿シリーズであっても、この大原則から逃れる事はできず、いつかは終焉を迎える運命にあります。この「初めから終わりまでの時間」が、例えば60分とかであった場合、人間という生き物の時間尺度からすれば、ほぼほぼ息つく暇程度のものであり、まばたきをしている間に終わったといえるようなものなのです。つまり何がいいたいかというと、常識的な映画の長さでは起承転結の過程に没入することはあっても、映像が絶えず流れる作中に視聴者自身の思考や感情を差し挟む余裕はなく、終始製作者の意図した感情を”受け続けながら”物語の終焉に至るのです。ところが、間に1週間のインターバルが挟まるアニメはどうでしょう。視聴者は物語をぶつ切りに(それも客引きを意図した気になりどころの境目で)され取り残されます。物語側から見れば30分の放送の後に6日と23.5時間のインターバルがあることになり、観客はその間否が応で物語について考えさせられます。この「考える」こそ物語への没入だと考えます。映画の演出家が言う没入など、所詮セリフを聞き主役を目で追いシーンごとに流れる音楽に応じて感動したり興奮したりしろってなもんですが、この6日と23.5時間のインターバルは違います。観客は観客の時間尺度(現実)で物語を考え、物語の延長の中にいながら現実で肉体を以て思考し行動するのです。ちょっとややこしいですね?

 男女関係で考えましょう。作品の放送上映時間をお互いに会える時間、お互いの感情を作品への没入と考えてください。アニメ(連続ドラマ)は1週間に1回、30分だけ会えるカップルです。彼らが会える時間は本当に僅かですが、来週も会えることは少なくとも確実なようです。彼らは会えない日もお互いのことを考えるでしょう。次会ったらどこで何をしよう、何を話そう、何て言ってあげよう…。残りの時間全てという訳ではないかもしれませんが、きっと二人は6日と23.5時間のうち何割かは相手の事を考えて過ごすはずです。実際に顔を突き合わせている時間は短くとも、彼らの間にあるものは、これは美しい愛でしょう。かたや映画ですが、これは対照的に愛と呼べるかどうかは怪しいものでしょう。なぜなら上記にあるように映画と観客はその一夜がどんなに情熱的で激しいものであっても、一過性かつその場限りの関係だからです。私は同じ映画を何度も見ると言いましたが、映画が見るたびに見せるのは毎回同じ顔、どんなに愛して通いつめても最初に出会った時以上に微笑んでくれることはありえませんし、むしろ最初に出会ったときの輝きは徐々に色あせていくのが普通です。そういう意味ではこの例えで言えば一夜限りのピンクな商売の関係というのが適切でしょうか。

 変な例えを持ち出したせいでよけいこじれた感じもありますが、感覚的には概ね伝わったかと思います。要するにアニメ・連続ドラマと映画ではハマり方が異なり、没入度も変わってくるのです。いえ、没入度という言葉にはやや語弊があるので、ここは浸透度という表現を使いましょう。人間の心理は関数です。関数とは即ち入力に対して内部処理があり、出力をもつものです。人間という関数は入力に対する出力に遅延が存在します。一つの作品を見て感動を得ても、それが骨身に馴染んでくるのは実に数日後からなのです。これが「どんなに感動した映画でも1週間もすれば忘れている」であり「つまんねーアニメでも2クールずっと追ってたら何かエンディングで感動したし後々まで記憶に残る」である所以なのです。これは映画の価値を貶める意味ではありません。人生を賭して追いかける夢と、一晩に見る夢は文字は同じでも意味は異なりますし、それぞれがそれぞれの代わりにならないという点ではやはり双方が唯一無二の価値なのです。その上で申しますと、人間は60年ぐらい生きるので、人生という尺度により近いメディアはアニメだと、そうなるのです。月曜日に見初めて水曜日に冷める恋もあるぐらいですから、心を掴まれている限り放映クール中ずっと夢中でいさせてくれるアニメはまさに理想的な恋人なのです(?)。アニメが恋人、みたいな名言系コピペが昔ありましたが、これは茶化して言っているのではありません。


<幸福の終わった後には幸福と同じ重さの喪失感が残る>
 さて、上行では映画とアニメの心への浸透度合いの違いについて明らかにしましたが、ここでエンディング後の世界について考えてみましょう。最初に述べましたとおり物語は終わります。終わった後は物語の世界の時間は止まり、あるいは消えることで始まるより以前の世界に回帰します。観測者=視聴者について考えるとして、物語を見ていないという意味においてはアニメのインターバルと物理状態は同じですが、その性質は全く異なります。即ち、何週間待っても次回は来ないのです(続編はあるかもしれないがここでは考えない)。前項の恋人の例えに則ってみれば、これは破局であります。この終焉の到来は物語の定義に基づく普遍的特性で、映画でもアニメでも同じですが、前項にあるようにアニメのほうが浸透度が高いのであります。1年か半期か四半期か、とにかくそれだけ長く愛聴していたのだからこれは言ってみれば人生の一部のようなもの、それが急に消えてしまったら、その穴は急には埋まらないのであります。ドラッグや抗うつ剤などの快感作用を伴う薬には、薬の効果が消える過程で虚脱症状が出るものがあります。あるいは定年退職や子供の独立で燃え尽きた中年世帯と例えるのもいいでしょうが、項題のとおり人間は幸福の過ぎ去った後に残る虚無に、虚無は本来何の印象も与えないものであるにも関わらず不幸を感じるのです。その不幸の大きさは、浸透度に比例し、即ちアニメのほうが多い形になります。


 <終演後の世界のポスト物語を見つめる>
 私が忌避していたものの正体はこの喪失感だったのです。これを読んで笑う人も居るでしょう。しかし考え方次第です。より一般化した表現を使えば「失うことが怖くて手にすることをためらう」というカッコイイ響きですし、これを身近な例で見れば死別が怖くてペットが飼えない人などで、これは笑い事ではないというのが理解していただけるかと思います。アニメ見る度に毎回ペットロス症候群になるとしたらどうです?私は繊細なので結構なります。例えばARIAのアニメはリアルタイム視聴じゃなかったのに最終話見終わった時点で虚脱感に襲われ数日何もできなかったし、ToHeart2の某会長ルートクリアした後は熱が出て一週間ぐらい誰とも話したくなかったし、誰にでもそういう思い出あるよね?

 私の場合アニメ見て創作意欲が充填されるタイプなので見なければいいじゃんで終わらすとかなり厳しい感じで、むしろ現状がその厳しい感じになっているので現状打開の願も込めてその打開策を提言して論説を閉じたいと思います。ここ数年創作意欲は底値も底値でほぼ0でございまして、実際原稿年産2,3pぐらいのペースです。でもね、今年に入ってもう2本アニメ見てるんですよ。3月からですね。まずけものフレンズ見ました。流行ってたからね。いやぁ面白かった。続編も見ますねきっと。あとAmazonビデオで1期と2期が無料公開されてたこのすばも見ました。あれ面白いっすねいやマジで。ファンタジーは良いですよねぇ俺も描きたい。同じ異世界ものでもあの何度も死ぬやつ名前思い出せないけどあれ途中まで見て何かいいやってんで投げ出して以降またアニメと疎遠になってましたが、やっぱり面白いアニメは面白いですね(哲学)。で今順調に創作圧が高まってきてるんでこのボルテージを保ったまま次々面白いアニメを見ていければきっと自分の創作活動もやっていけるんじゃないかと、テキトウですがそんな感じで閉じです!
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新都社で『伯方さんと僕』という漫画を連載しています。http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=12094
pixiv: http://www.pixiv.net/member.php?id=797664

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