湯殿山麓呪い村

みなさんお久しぶりです。また面白い映画を見つけたので鑑賞記録を書いておきます。
今回見た映画はこちら。

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「湯殿山麓呪い村」
Amazonビデオ


 ミステリー・サスペンス映画です。今ではミステリー・ドラマなんてお昼の2時間ドラマとしてダダ流しされるぐらいですが、この年代は、出版社のバックで小説原作のミステリー・サスペンス映画が多く制作されたいてようですね。金田一耕助シリーズは有名ですが、私は天河伝説殺人事件(映画)が好きです。
 まず本評に入る前に本作を視聴する経緯を一言説明させていただきたい。ずばり本作の公開年が84年だからです。前回記事で書きましたが、84年は映画の当たり年でありまして、かつ経済状況が隆盛を極めし頃なれば映画も大変にお金の掛かった、スケールの大きいものや作りの精細なものが多く作られていた時期であります。即ち、太平洋の東西で物質主義文化の最高峰が出現し、映画界の一つのピークともいえる時期に作られた映像のパワーを感じたかったのと、Amazonビデオでタダ見できたからです(ロストエイジ世代並の発想)。


追記から本評(部分的にネタバレ)



 感想を述べる前に一応保険をかけておくと、私はこの映画の原作にあたる同名の小説は読んでいません(毎回これ言ってる気がする)。ですので内容が間違っているなどあるかもしれませんが気付いても気にしないでください。

 で、まず総合評価から述べたいのですが総評としては私はこの映画すごい面白いと思いました。点数で言えば85/100点くらいは硬いです。84年の映画だけにな。
 ところが厄介なる事に、この映画のどこがそんなに面白いのかが分からなかった。私は面白い(≠笑える)映画を見ると笑ってしまうクセがあるんですが、この映画でもエンディング間近で自然に笑みがこぼれ、最後ではケッケケと声をたてて居ましたからには、やはり心の底から面白いと感じていることは間違いないのでありますが、じゃあどこ辺が?と聞かれると「わかんないや(*´`*)」状態なので、映画に多方向から光を当ててどこにどんな魅力があるか一つずつ列挙していく作業をします。


1.80'sを感じさせる画面
 80年代の映画なので当然ですが、出て来る日本は80年代っぽいです。といっても半ばであり末のようなバブリー感はそれほどありませんが、それでも「華やかなりし」という演出は随所にありますし、登場する町並み、ファッション、車や文物に至るまでが過去を明示している事は価値として列挙するに値するものと信じます。
 これ今言うと何を大げさな、みたいに思われるかもわかりませんが、例えば同じ80年代制作で日本統治下の香港を舞台にしたスピルバーグの「太陽の帝国」が返還前の香港でロケやったから今見ると当時の英国風の町並みが残ってて資料として価値があるなんて言われているのと同じで、一見して「こんなものありふれている」と思えるものであっても時間の経過とともに価値を生じる訳です。私は92年生まれであり、84年の日本は知らないのですが、かつて自分が見てきた90年代の風景のさらに先(過去)の、懐かしくもあり新しくもある時代の風景には惹かれたので、この映画固有の事柄ではありませんがここに挙げました。

2.ミイラ
 仏教風に言えば即身仏です。本作は無理やり即身仏にされたあげく無かったことにされた男と、それを掘り返したけど無かったことにされた研究者の話ですので殺人とは別に、あるいは殺人よりも大きなテーマだといえるでしょう。
 私は即身仏というものについては存在は知っておりましが、特に熱意ある高僧が何か自発的に時々なるぐらいの認識でした。しかし入定(即身仏になること)は仏の教えに肉体も精神も、即ち己が生命の全てを投げ与えるものであり、被業者からみれば何にも代えて重い犠牲を払うものであります。それ故に僧の聖骸には信仰の対象として木彫りの仏像並かそれ以上の価値が生じ、それを寺や仏界に利用されるというのが本作のプロローグの悲劇の真相です。
 ところが、プロット=物語の骨組みに本作を還元して見た時、この即身仏云々は被害者たちと犯人のカルマ関係から独立しています。つまり、サスペンスをやりたいなら即身仏とそれにまつわる話(=江戸時代パート)まるっきり全部不必要なんです。即身仏の存在が主人公と被害者/加害者一族を結びつけているのは事実ですが、これにしても被害者の娘と主人公が不倫関係にあって、という立派な縁が用意されています(不倫関係の由来が、主人公が即身仏発掘のために所有権と資金を有する被害者一族に接近したかったというのは事実です)。このあたりで、この話はただの奇抜な殺人事件の謎解きゲームであるところのサスペンスとは毛色が違うな?と気付くかもしれません。私はそう思いました。

3.主人公の異常な人となり
 本記事冒頭で、サスペンスミステリー映画の代表例として「金田一耕助シリーズ」や「京極夏彦シリーズ」を挙げました。あるいは他の何でもいいのですが、探偵役の主人公がどんな人物だったか思い浮かべてください。たいていは一つの凡庸なキャラクター像に収束するのではありませんか?彼らは善良な人間で、頭がよく(設定上こうなっているが、実際は周囲の知能を低くすることで対応している)、時間に縛られない文化的な職業についているか職務に不誠実であるがために時間に追われていなく、知的好奇心が旺盛でありしばしば社会通念より好奇心を優先させ、それゆえ事件に首を突っ込む。加えて優れた洞察力を持つが野心や能動性には乏しい……。とまぁラノベ主人公論じみた事になっていますが、ミステリ主人公は構造上、読者が感情移入することを求められがちな立場なのでこのように全ステータスが中の上で受け身な人が出来てしまうのです。
 ところが本作主人公の滝連太郎氏はどうでしょう。上記の特徴と照らして一致しているのは頭がいいことぐらいです。他のサスペンス主人公が好奇心や良心から事件に関与するのに対して、彼の目的は一貫して発掘調査をすることです。その情熱はたいしたもので、資金繰りのために愛人(妻子を捨ててまで一緒になろうと誓った相手)を捨てると本人の前であっさり公言したり、本来警察に渡すべき殺人現場の物証を、犯人の母親に売り渡して発掘費用に宛てたり、枚挙に暇がありません。謎解きも一応試みることは試みますが、何か分かっても警察に話したりしませんし、殺害予告が出ている第二の被害者に「発掘が止まると困るから予定通り現場に入ってくれ」とせっつく始末。重要なトリックのヒントを作中人物で唯一得ていながら、自分の調査とそれを取材する番組制作会社のほうにかかりきりで殺人を防げませんし防ぐ気もないです。
 これがサスペンスの主役なのか?そもそもこの映画はサスペンス映画なのか?そう、これはサスペンス映画ではないのです(※個人の意見です)。

4.じゃあ何映画だよ
 僕はこれは人間ドラマだと思っています。それも登場人物全員がそれぞれ、自らの所業の因果の報によって破滅するまでを描いた破滅の美を描いたドラマです。劇中殺人の被害者はそれぞれ過去の所業によって、加害者はその殺人でもって、主人公はその主人公らしからぬ行いの果に、それぞれ死にます。こうもキレイに全滅するものかね?というぐらい主要キャラがごっそり死にます。そのへんの潔さ、破滅の美しさは実際見て確認してもらいたい部分ですが、彼らのエゴイスティックな行いと、その精算としての全ての喪失、死というやや短絡感のある締め方こそ、私のイメージする「80年代の物質主義精神」そのものだなぁ、と感動したものであり、実はこの映画のストーリの肝はそこにあるのではないかと、ここに思うものです。

 なんか他に話したいことがあったような気がするんですが、ちょっと今眠いのでこの辺にしておきます。若き日の永島敏行の演技が見れる映画ですから、ぜひ見て私の言ってることが本当だったか、あるいは妄言だったか確かめてみてください。
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新都社で『伯方さんと僕』という漫画を連載しています。http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=12094
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