予科練平和記念館と特攻作戦/組織にはたらく生存本能

 書く書く詐欺で放ったらかしてた予科練平和記念館に行った旨の記事を書きます。ただし実際に行ってから一ヶ月弱が経過し頭からだいぶ抜けてるので、展示で思った事に加え近年見て頭に燻っていた事を映画などを事例に後半で論じていきたいと思います。


 題字どおり、予科練平和記念館に行ってきました。本来の目的は茨城県は美浦村に友達とナマズ料理を食べに行くことで、県道沿いの川魚料理の店でナマズやワカサギの天ぷらを食べました。


DE0rpX4UQAAPUnf.jpg
(ナマズの天ぷら)
DE0sj7dUMAAJ6xb.jpg
(ワカサギの天ぷら)

最近何かと絶滅が危惧されている鰻様の代用食として一時期ナマズが期待されたことがあったそうですが(油っ気に乏しく身が締まりすぎているので鰻の代わりにはならなかった模様)、私が食しましたナマズは淡白にして身は柔らかく上品な味わいであり、これを何かの”代替”で食べるのはいかがなものかと思いました。むしろナマズの特性を活かして商品化すればいいのに、などと思ったりしました。




 本題の記念館は美浦村への道中に私が見つけたもので、湖畔を走る県道125号からも見える零式艦上戦闘機の実物大レプリカが通行車の目を引いていました。ナマズを食った後の予定も決まっておらず、解散するには早かった私達は特に考えもなく記念館に入る事にしました。

DE00eAHU0AA9v6H.jpg
(国道からもはっきり見える零式艦上戦闘機の模型)

DE01ORqU0AA5dw9.jpg
DE00x_kVwAAt2Jd.jpg
(近くで見るとその精工さが分かる)

私は過去に靖国神社の境内にある遊就館(事実上の戦争博物館)に行ったことがあり、そこにも零戦の実物大模型がありましたが、展示方法も違うのでインパクトの面から言えばこちらが勝っているなとの感想を懐きました。

 屋外展示はそれだけでなく、建物の反対側には特攻兵器として悪名高い人間魚雷「回天」の実物模型も設置されていました。
DE02VonV0AA_JLl.jpg
(海に投げ入れる自走爆弾としては大きいが、人が乗るには小さい)
DE02xmjUMAAaY2s.jpg
(水密扉はとても小さく、私と友達は入れそうにありませんでした)


また、敷地は隣接する陸上自衛隊武器学校とも小道でつながっており、その先には陸上自衛隊が誇る機甲戦力が展示されているのが(かろうじて)見えました。行けばわかりますが柵でがっちり区切られています。近くで見たければ基地祭に行きましょうね~
DE04CibUwAEMHGj.jpg
(戦車、回収車、架橋車など。奥にはM4戦車や旧軍車両の陰も見えた)
DE04NWkUwAAdvuy.jpg
戦車だー!(自走砲です)

 まぁ戦車や何かはオマケで、実際は武器学校敷地内にある特攻作戦従事者の資料館のための道です。ここでは主に特攻作戦に従事したり、作戦中に死亡した航空搭乗員の名簿や手記、生き残った搭乗員の証言や彼らの持ち物を展示していました。撮影禁止だったので写真はありませんが、彼やその遺族に送られた当時の賞状や勲章なども多数展示されており、命がけで国家に奉仕した軍人にたいして当時の日本政府や軍がどのような対応をしていたのか、その雰囲気をうかがい知ることが出来ます。床面積はちょっとした武道館ぐらいですが展示内容が濃く、文書資料主体なので1時間ぐらい居たような気がします。


 そして本題、予科練平和記念館です。
 これは記念館の中で説明されていることですが、歴史好きを自称する私も知らなかったので一応概説しておきますと、予科練というのは正式名を海軍飛行予科練習生と言い、海軍航空隊の教育過程である飛行練習生のさらに前段階として素養ある子供を早期から育成しようという枠組みであります。制度発足の経緯や生徒の身の上から照らせば、現代の専修学校や高等専門学校機構のようなものと言って差し支えないでしょう。私自身(あと同伴した友達も)高等専門学校の出身であり、予科練生たちが最終的にどうなったかを伝える記念館の話はどこか他人事ではない気持ちもありました。

 記念館内は撮影禁止であり、またこれを読んだ人の中であるいはこれから同記念館に行く人もいるかも分かりませんで、展示内容については概略に留めますが、個人的にはたいへん好印象でした。まず施設全体が新しく(平成22年開設だそうです)、また展示も単なる資料の羅列ではなく、予科練生の入隊・生活・訓練など段階に分けて映像や資料、当時の再現などを織り交ぜ退屈さを感じさせずないものでした。当時の雰囲気を理解し、彼らに心情を重ね、その上で事実を理解するという演出意図は巧みです。

 概略だけでもつまらないので実際のエピソードを一つ書きます。展示のなかに当時の予科練生の教室を再現したものがあり、そこにある生徒(14-2期生)の成績グラフが展示されていました。私どもはその成績表の正しい読み方が分からなかったのですが、どうも数字が0から10あるうちの0や1,2のあたりをウロウロしているので、これは落ちこぼれに違いない、当時もこんなやつが居たのだなぁと笑っておりました。また、その成績表は1年あるうちの四半期を少し過ぎたあたりでブッツリ途切れており、「ああ、こいつは落第したな!」など学生気分を思い出しておりました。後になって分かったことですが、14-2期というのは45年入隊の予科練最後の学年であり、成績グラフが途切れていたのはそれが終戦だったから、という事だったのです。
 なぜ14-2期生が最後だと知ったのかと言うと、14-2期生の生き残りの元予科練生が実際に登場したからです。名前は失念しましたがその方曰く、自分より先輩はみんな特攻に駆り出されて行ってしまったそうです(その人も終戦間際は浜辺で地雷をかついで戦車に体当たりする訓練をしていたそうで、広義の特攻に駆り出される予定になっていたと)。つまり14-1期より上はみんな何らかの形で出撃させられているという事です。さっきまで落第生に心情をダブらせて笑っていた自分は、背筋が凍る思いでした。

 ここで一つ私に勘違いがあり、かつ皆さんも同じように思っているかもしれないので書いておきます。特攻兵器といえば何を連想するでしょう。爆弾を背負った戦闘機、人間魚雷回天、ジェット戦闘機桜花など色々ありましょうが、予科練=飛行予科練習生の学校であるから特攻といえば飛行機に乗せられるんだろうと、少なくとも私はそう思っておりました。しかし実際はというと、海軍が開発したありとあらゆる特攻兵器に予科練生は乗せられていたそうです。それらはその大半は空を飛びません。
 上述の回天がまさにそうです。何で航空搭乗の訓練をやってきて潜水艦に乗らないかんのや!と私なら憤慨しそうですが、他にも機首に爆薬をつんだ木製モーターボートの震洋(元予科練生の方曰くボロ船)や、即席の欠陥潜水服と爆薬つき錫杖を持って海底で上陸艇を待つ伏竜などの任務も予科練生にあてがわれました。かくいう元予科練生の方も地雷持って玉砕させられる予定になっていた訳で、要するに何でも良かったんでしょう。
 記念館の展示コース後半は主に特攻作戦に従事した予科練生を悼むものであり、組織的に展開された特攻戦術の恐ろしさについて直接触れているものではありませんが、展示の端々には当時の兵器の模型などがあり、それらが当時の軍組織の狂気を今に残し放ち続けているように感じられました。

 展示コースの最後にはでっかい戦艦大和の模型が展示されています。これも後になって気付いたことですが、戦艦大和が最後に従事した作戦は通称沖縄特攻、大日本帝国海軍が誇る世界最大の決戦兵器もその最後は特攻で閉じたのでした。




追記では展示から感じたことについて少し書きます。


 予科練平和記念館の印象について、少し追記しておきます。上でも名前を出しましたが、靖国神社の遊就館と比べると予科練平和記念館は非常に、何ていうか清廉な印象をうけました。遊就館が右翼が作った大日本帝国戦争”記念館”なら、予科練平和記念館は戦争当事者と現行政府が作った追悼碑、というくらい印象が違います。これはあくまで私見ですが、そういう主張の穏やかさ、題字に対する偽らざる姿勢に私は好感を懐きました。遊就館が嫌いという訳ではないですが、過去との付き合い方の姿勢の問題です。


 加えてもう一つ、これは記念館に行く前から頭の中にぐるぐるしていた事柄なのですが、終戦間際の陸海軍、特に海軍の肉弾(特攻)戦術推進の姿勢について、この記念館を訪れたことで一つのまとまりを得たので、いち意見として記述しておきます。

 題字に書いたとおり、私は組織は生存本能が働くと考えています。そして日本において、特定の組織の生存本能が最も強く発揮されたのが先の大戦だったと考えます。
 特に特攻戦術に熱心だった海軍について考えてみましょう。明治の大戦こと日露戦争の決戦で快勝しおおいに株を上げた海軍は、陸軍にも引けを取らない予算と人員で巨大組織を作り上げていきます。しかし太平洋戦争中盤、ミッドウェー海戦での機動部隊喪失を皮切りに格海戦で消耗していき、大戦後半では日本本土の制空権喪失とあわせて沿岸制海権を喪失。米英海軍が実施していた無制限潜水艦作戦(敵国船舶は無警告で沈めるという作戦。ドイツが英沿岸で実施していた事が有名だが米国は太平洋全域で実施していた)によりまともな艦隊行動もとれず、そもそも重油統制で大型艦が動かせない状況に至ります。輸送船も南方第一線に到着する前に沈められてしまうためやむなく民間商船を船員ごと徴用し、護衛なしで南方に物資を送り届けるのに使ったなどという話も有名ですが、要するところ海軍の本分である水上戦闘が実施できなくなっていたのです。わたしの好きな映画「日本のいちばん長い日」のセリフを借りれば「海軍は手足をもがれたも同然」ということでしょう。国家は役に立たない組織を存続させることはしませんから、海軍が何もしなければ劇中で明言されているように陸海軍一体化、あるいはもっと悪く解体ののち陸軍への吸収という運びになっていたかもしれません(もっとも陸海軍大臣の発言権が総理大臣並に強く、かつ軍そのものも政治力を有していた戦前の日本では海軍自身が承諾しないかぎり陸海軍一体化はありえなかったと思いますが)。こういう状況ですから、海軍自身も危機感があった訳です。特に陸軍より先に戦力を喪失してしまった事が彼らのプライドを傷つけ危機感を煽ったことでしょう。手足をもがれたバッタが腹と羽根とアゴをくねらせ必死に餌を探すように、軍組織の上から下までひっくり返して手段を選ばず「自身の有用性を証明」することを試みた結果、彼らが編み出した必勝法が10代の少年を爆弾と一緒に敵に突撃させる作戦だったのです。

これは海軍に限った話でもなければ、軍事組織に固有の問題でもありません。J・エドガー・フーバーは自身が作り上げた連邦捜査局を存続させるために政府要人の秘密ファイルを作り上げ半生にわたって米国の政界に強すぎる影響力を行使し続けましたし、大蔵省は組織再編の直前に問題になっていた過剰接待疑惑を全て銀行側の過失にするよう工作し、公安警察はカルト宗教と赤軍残党の勢力を過剰に集計します。より一般化して言えば、人も組織も一度手にした特権、権益は手放せないということです。その組織がたまたま軍隊だと、彼らの手にある武器が手段として用いられ惨事になる、という事なのです。それを防ぐためには彼らの手足を外部の人間が抑え(文民統制)、口を利かせないようにする(軍の政治力の排除)ことを常に努力し続けなければいけないと、改めて戦後日本の文民統制の重要性に気付かされた気がしました。

というような事を展示を見ながら思いました。これはあくまで私見・私説であり、第三者の意見を代弁ないし貶めるものではありません。
 
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

プロフィール

複素数

Author:複素数
名前:複素数
新都社で『伯方さんと僕』という漫画を連載しています。http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=12094
pixiv: http://www.pixiv.net/member.php?id=797664

FC2カウンター

フリーエリア

バナーリンク

Firefox ブラウザ無料ダウンロード

QRコード

QRコード